国語史資料の連関

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2002-07-10

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我むかし海外の人のこゝに至れるに遇ひて。其言を聞き。其義を問ひし事どもありけり。我東方の言ほど。声音の少なきはなく。西方の言ほど。声音の多きはなし。中土またそれに次ぐ東南の方音は揚れり。東北の方音は濁れり。西北の方音も亦これに同じ。其事たとへば鶯の暗く声を聞くに。初春には声なを渋りぬる。春半たつほどやゝ滑になりて。春暮ぬべき比ほひには。百千宛囀の音あるが如し。東方の音は新鶯也。中土の音は喬に遷れる鶯也。西方の音は流鶯也。それが中。西方諸国の如きは。方俗音韻の学を相尚びて。其文字の如きは尚ぶ所にはあらず。僅に三十余字を結びて。天下の音を尽しぬれば。其声音もまた猶多からざる事を得べからず。中土の如きは。其尚ぶ所文字にありて。音韻の学の如きは。西方の長じぬるに及ばず。我東方の如きは。其尚ぶ所言詞の間にありて。文字音韻等の学は。相尚べる所にもあらず。されど天地の間。本おのづから方音あり。我東方の声音のすくなき。其声音のなきにあらず。則是は天地発声の音にして。天下の音を合せて。其中にあらずといふものなし。


野村雅昭『漢字の未来』筑摩書房 p37