国語史資料の連関

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2013-01-19

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(二四)東京語上方語

 東日・東朝の若い記者の内には大阪から転勤して有楽町のガード下、さては銀座裏のおでん屋通ひ、上京二三ヶ月にして早くも東京食通を気取るらしい。さういふ先生達が東京の板場はどうの、かうのと新聞で書く。上方では料理人を「板場」といひ、東京では「板前」といひ板場とはいはず、大正以来殊に彼の大地震後より関西料理といふが主として大阪料理の流行以來「板場」の語が時々耳を襲ふ。曾我廼家二輪加と上方おでん屋と東朝・東日の二大新聞記者とが上方語を流布するものと判断される。

 右両新聞で時々江戸ッ児口調を真似た記事をみるが「わっし」などと書くのでをかしい。江戸ッ児は「わっち」又「あっし」といふ。わっしとはいはぬ。

 この「し」の発音は注意しておきたい。東京では下町の女は「なし」と云ひ、山ノ手の女は「ませ」といふ。「オヤ、いらッしゃいまし」とは東京女の語。「アーラー、いらっしゃいませ」とは山ノ手に住居する田舎出の奧サン連の語。https://app.box.com/s/fmzc6rox656754yninmqwqeul8xsx594

『書物展望』11-1

1941.1

湯浅竹山人「机の塵」