2013-01-20
■ [国語問題]明治27年明治23年の「国語」
余は其学術に就きて一に国語の拡張せざる可からざるを見る。抑も其国固有の学は一国の独立を助くるに極めて必要なる者なり。故に一国の人民にして若し其国固有の学術の何物たるを辨ぜず却て他国の学にのみ沈酔するときは、一国独立の対面に大なる影響を及ぼすものなり。彼欧米諸国の大学より小学に及ぶまで一として其国固有の学術を以て基本となさゞるなきは蓋し之が為めなり。然り而して翻りて我国の教育社会を観察するに僅に二三の学校を除くの外は別に国語を課するを見ず。是何事ぞ。嗚呼苟も日本国民にして愛国の志ある者、豈に国語を学ばずして可ならんや。
(原文カタカナ)
『学生筆戦場』4-3(明治27.2.5) pp.49-50
忠告
今関虎之助君に質す 安房 延田谷史
(略)是乃ち先年当館発行の日本之少年第二卷第二号群芳集華欄六十九頁より七十頁に亙る東京芝伊藤良太郎氏の国語宜しく拡張す可きの説を焼直し本誌に投し以て我等を瞞着せんとしたるものなり。以後は如斯焼直にあらざる文を投して以て前恥を雪がれよ
『学生筆戦場』4-7(明治27.4.5) p.87