2012-03-15
■ [表記意識]粉身砕身しても知るべきものは仮名なり(夏山雑談・巻五)
漢字に假名を付ることは、なづめることなれども、童蒙に便せんには然るべし。和語の文字には、假名付けざれば、よみがたきこともあり。漢音の假名は、音書を見てかヘしの音にてつくべし。和語の假名は、日本紀以下の史類、和名抄、萬葉集、新撰萬葉集等をみて證とすべし。今の世に行はる印板の歌書、物語の類は、傳寫の誤り多くて證據になりがたし。すべて假名は五十韻を學て音義を知べし。和漢の音義は五十音をよく合點すれば、誤りはすくなきものなり。詩文章の法式あるものは、さしをきて論ぜす。物語の類を漢字にてかけば、助語字をすこしわきまへぬれば、さのみ誤も見へがたきものなり。和語の假名書は、てにをは或正訓、變訓の添字を能々辨へざれば、あらぬことに聞ゆること多し。文才の淺深は、かな書にてよくみゆるものなり。又和語文章は、人の言なれば、かなを誤れば人の片言をいふがごとし。學者なんぞ是耻ざらんや。されば粉身砕身しても、しるべきものはかなゝりと、先達のいはれしなり。