2011-12-15
■ [外国人の日本語など][役割語]明治の役割語(土子笑面「話術新論」)
上来述ぶるが如く大体話の地は平語を以てすべしといへども話中の人の言語は必しも平語と限ることあたはず。素と人の言語は其の人物をあらはすに最も密着の関係を有するものなれば其の人物をあらはすに必要なる丈けの言語は用ゐざるべからず。即ち其人の用ゐべき語を使ふべし。たとへば漢学者は多少堅き語を使ひ車夫馬丁は下等の俗語を用ゐ力士はつよく俳優はよはく男は男らしく女は女らしく老人は老人らしく子供は子供らしく口をきけばこそ其の人物を知るなれ。是等を一概に同様の平語を以て口述しては反て味ひなし。西洋人が日本語を使ふには
「アナタ、タクサンワルイアリマス」
「ソレ、イケマセン云々」
などいひ子供は
「サヤウナラ」
といはずに
「アバヨ」
といふものなれば話中に西洋人・子供を出して其の言語を述べんには須らく右の如くいふべし。
是れ即ち人物を美術的に口述するの一法なり。但し如何に和学者・漢学者・洋学者の言語を述ぶればとて殊更に非常に六つかしき語のみを使ひては是も亦面白からず。たゞ一寸と聞きて如何にも和学者・漢学者・洋学者の如く感ずれば足れりとする訳なれば此の辺は実地に臨みて斟酌するを要する也。http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902869/27