2011-12-16
■ [方言意識史][役割語]明治の役割語(続)(土子笑面「話術新論」)
唯雅俗男女老若等の区別のみならず場合によりては地方の語をも夫々使ひ分るをよしとす。たとへば京都の人なら「サカへ」「ソウドス」「アンジヤウ」「マ、ドーエ」などいひ鹿児島の人なら「ビンタ、ウッタクラル丶」「ヤマイモホリ」「イッキセン」などいひ仙台の人なら「四時四十分」を「スヅスヅップン」などいふの類也。此の他百性の「アンダンベー」東京子の「ベランメー」等中々多し。尤も話術家なりとて日本全国の邦語に通ずるは殆ど望むべからず況んや西洋支那語等に於てをや。到底尽く真に迫るといふ訳には行かざるべしといへども此の邦語を用ゐざれば其の人物をあらはすことあたはざる場合には殊更に耳立つ処丈けも邦語を以てするかたよし。即ち今日の落語家の仮声は田舎者といへば何処の出生にもかまはず大概おなじ様に「アンダンベー」口調を用ゐるものなれども殊更に耳立つ処のみを取り東京の聴聞者が聞きて如何にも田舎者らしく聞ゆれば是れにて可なり。総じて美術といふものは、必しも尽く真に迫れるを取るとは限らず。大体事物の精神を写せば、枝葉の事は差のみ真に迫らずとも美妙の感覚を惹起すに足るものなり。此の故に今日の演劇を見るに必しも尽く邦語を以てせず皆同様の語を以てしてもよく熊谷の人物敦盛の人物を美術的にあらはすにあらずや。是れ東京の見物人に対して熊谷の言語が如何にも表はつよくして内心に堪がたき情を含む様に聞え敦盛の言語が優美にして如何にも無官の太夫のごとく聞ゆるによるものにして即ち両者の精神を取りたれば也。http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902869/28