2011-04-09
■ 松尾捨治郎校註『あゆひ抄』屬 二「疑屬」(5)
何かも 何は名・脚裝の引靡・也。(註一)
里[カサテモ]といふ。裝をうけたるをば[ノカサテモ]とも里すべし。凡、かな・かも・は全同心の詞也。め(目)にも心にもあまれることを、先かとうたがひてやがて[な]又は[も]とながむる詞なれば、いさゝかもかはるべからねど、上世には疑にも咏にも[かも]とのみよめるを中昔よりはやう/\疑を[かも]とよみ、咏を[かな]とよむ習となれる故に、此抄には[かな]をとりわきて咏屬にいる(二)。さ(然)しても咏と疑は歌にはおほくかはらぬ物なれば、此詞をも心えて見べし。
天の原ふりさけみればかすがなるみかさの山にいでし月かも〔カサテモ〕。
梅がえをかり(狩)にきてをる(折)人やあるとのべの霞はたちかくすかも〔カサテモ〕。 拾
[んかも]〔ウカサテモ〕・[つるかも]〔タノカサテモ〕・[めかも]〔ウモノカサテモ〕・等見本抄。
又[めかも]といふあゆひ、古今序のをはりにあるぱ人のしれる所也。歌には同集戀三に「山しなの音羽の山の音にだに人のしるべく我こひめかも」、此外におぼえす。此歌も墨滅(三)の所には二の句「音はの瀧の」とありて「我こひめやも」と諸本にあるを思へば[めかも]・[めやも]・同じ心得なるべし。
何かも何
二例(四)○第一[おもふ中のかも]といふ。
上何は名・頭・脚・裝の往・也、下何は裝の引靡・脚・樣々也。
里言たゞ前條と同じ。但下何の下にまはして心得べし。
足引の山どりの尾のしだりをのなが/\しよをひとり[かも](口略)ねん〔ウカサテモ〕。 拾
今も[かも](ロ略)さきにほふらん〔デアラウカサテモ〕たち花のこじまのさきの山ぶきの花。
かく中にあれど「ひとりねんかも」「咲匂ふらんかも」とよむ心也。
○第二[うたがふ中のかも]といふ。
上何は[うたがふ中のか]に同じくうたがひの頭をうく。下何は前に同。
[かも]をまはして下何の下に[ゾサテモ]とつくべし。又直に[サテモ]とあてゝ、下何に[ゾ]をつけて心得るも同じ。
あはれてふことだになくば何を[かも](口略)戀のみだれのつかねをにせん〔ウゾサテモ〕。
たれを[かも]〔サテモ〕しる人にせむ〔ウゾ〕高さごの松もむかしの友ならなくに。
(二) 爾後の國語學者の説凡て此の説の範圍を出ない。
(三) 墨で滅し改めた所、古今集の卷末に十一首載せてある。
(四) 二種。