2011-03-26
■ 松尾捨治郎校註『あゆひ抄』おほむね上(10)
師曰、疑のかざしとは、いかに・いかで。いかなる・いかばかり・いかゞ・何・誰・いく・いつ・いづれ・などの類をいふ。これをよむときは、下にうち合べきやう(註一)さだまれるのりあり。但、たれも・いくかも・いつも・いづれも・など、ももじをそふれば、疑のこころうす(失)るゆゑに、下のうけざまも又かはれり。又、ももじそはねど(二)いく秋かきつ・いくへへだでつ(四)など末をもてうちあへる(五)は、只このももじをはぶきたる心にて、うたがひの打あひにあらず。
註 (一) 結ぶべき法則。
(二) もが附かないでも。
(三) 新古今、秋、七夕のと渡る舟の梶の葉にいく秋、書きつ露の玉章。
(四) 新後撰、離別、都だに遠しと思ひし山の端を幾重へだてむ(つカ)峰の白雪。
(五) 終止形で結んである。