国語史資料の連関

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2010-04-22

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地口變じて語路となる。語路とは、ことばつゞきによりて、さもなき事の、それときこゆる也・たとへば、

  九月朔日いのちはおしゝ【ふぐはくひたし、いのちはおしゝと、響のきこゆるなり。】

  市川團藏よびにはこねへか【うちからだれかよびにはこねへかと、きこゆるなり。】

 一とせ淺草正直蕎麥の亭にて語路萬句あり。その時宗匠の句、語路萬たま子也、のろまのたまこといふ事なるべし。此頃の佳句とて、人の物がたりせしをきけば、

  いなかざむらひ茶みせにあぐら【しなざやむまひ三線まくらなり。】

  ぶざな客には藝者がこまる【芝の浦には名所がござるなり。】

 金羅(俳諧宗匠)が點は、いひかけの句を好む故に、卷中の秀逸に、いひかけの句多し、おもひ出して一二をしるす。

  お目にかゝるはお初徳兵衛      あはれ柳の下へうめ若

  姉女郎が顏に二町目        夕べの一入きりしたん坂

  朝々粥をくふや上人         猿寺の下は赤城の組屋敷

  鍋島の尻は黒田の表門       組やしき通ぬけ有べからす

 市川團十郎三升、市川八百藏の後家と(名はおるや)密通の沙汰ありし時、

         三升

  八百藏が後家へさんじやうつかまつり

         參上

 鬼娘のみせものありし時

  きぬをめくりの、鬼のみせもの(メクリカルタの札に鬼あり)

 してやんしてどうしたとといふ歌はやりし時

  かけおちをしてやんしたかどうしたへ

 この金羅は「首をきられに、きたの御番所、「にくいやうでも川井次郎兵衞、(其頃御勘定奉行にて高名なり)といふ句を高點にして出せしを、宗匠仲間衆議して、禁忌の句なりとて大に恐れ、金羅を破門せしといふ。

『中村幸彦著述集2近世的表現』