2009-03-13
■ [方言意識史]「大阪弁やなにかで幽霊が出てもあんまり怖くない」(円生「三年目」)
幽霊というものはこりゃ陰気なもので、後ろに柳という木を描きます。柳は陽木で、その後ろへ陰気な幽霊が出るというのがこれが釣合なんだそうで……、どこの幽霊でもたいてい東京弁がいい。手を前のところへこの、陰にいたしましてな、で、これが朦朧と現われるという。
「(低く、凄みのある声)生きかわり、死にかわり、恨み晴らさでおくべきかア……」
なんてえとたいへん凄味がある。これ、大阪弁やなにかで幽霊が出てもあんまり怖くないてえますな、やさしすぎて……。
「(軽い調子で)恨めしゅうおまっせ……そやかてわたい、本当に恨めしいんだっせ。生きかわり死にかわり、恨みを晴らさでおきまへんで、あほらし」
あほらしいなんて幽霊はない。
下総の羽生村に「累」という怪談がありますが、下総言葉でやった方がいいだろうといった方があるがこれはやはりおかしいでしょうね。
「(すっかり訛った言葉で)恨めしいぞオ……俺アハァ、恨めしいでてっこにおえねえだから…生きかわり死にかわり、恨みを晴らさでおかねえで、このけつめで野郎……」
なんてんで、これじゃ幽霊が喧嘩を吹っかけるようで、これはやはり東京の言葉が一ばんいいと申しますが……。
三遊亭円生「三年目」
pp.245-246