2009-03-08
■ [方言意識史]「関西一円ぐらいしか通用せなんだ」桂米朝
それまで非常に世間が狭い芸やったんです。関西一円ぐらいしか通用せなんだですわ、昔は。
米朝 はいはい、東京だけはちょっと別ですけどね。あとは本当に関西一円、四国とかね、それくらいはわかるんです。それが今は北海道へ行こうが、鹿児島県へ行こうが、大阪と同じようにやって、それがちゃんとうけて商売になっているという意味において、えらく買うてくれてるんですけどね。
――それは、いつ頃から通用するようになってきたんですか。
米朝 わたしはやっぱりNHKドラマで『横堀川』が全国でたいへん人気になった時分から、関西言葉がわりと抵抗なく受けいれられるようになったんやないかと思いますねん。
――『けったいな人々』というのもありましたねえ。
米朝 そうそう、あんなんが全国版として通用するようになった時期と関係があるように、思うんですがねえ。
――ただ、関西弁といいましても、私も東京にいたことがあるんですが、必ずしもイメージが良くなかったような気がするんです。
米朝 それは東京のお方が、きわめてガラの悪い、ある意味では滑稽なおもしろい言葉が大阪の言葉やと。そうでない上品な大阪弁を使うと大阪弁やないという風にね。これは体験したことなんですけどな、東京で「結構なお天気でございます」と言うたら、それは標準語やと言うんですよ。アクセントは関西やけれども、言葉は東京の言葉やと、こういうんです。そんなことあらへん。百年前でも関西では「今日は結構なお天気でございます」と言うてました。つまり字で書いて東京弁と差異がないものは関西弁とは思わないんですねえ。
――そうすると東京では、関西弁というのはどういう言葉やと思われてるんでしょう。
米朝 TVドラマやら漫才やらでパッパのパッと喋る。あれが大阪の言葉やと思てる。京都弁というと、これがまた逆に非常に女性的な、上品な言葉やと思うらしい、まあ半分色街の言葉かもわかりまへんけどなあ、いま残っているのはねえ。京都弁かてガラの悪い言葉ありまっせ。そら喧嘩したらえげつない、京都もねえ。そういうのは京都弁やと思わない。逆に大阪弁で船場の上品な言葉使てると、なんか大阪やないというような意識があるんやないですかな。