2009-02-22 2009-02-22 ■ [方言意識史]大阪弁と浄瑠璃(豊沢団平?) 晩年には、東京の人々の熱望によって東上し、東京でも内弟子を養い、外弟子をも持っていたが、身分のある弟子達にも、彼れは遠慮しなかった。東京の内に住みながら、彼れの家だけは、純然たる大阪で、大阪弁でなければ、話すことが許されなかった。 「大阪弁がいえまへんか。それでは、ほんまの浄瑠璃を語る資格はあれしまへん。」それが彼れの信条だったのである。(迎田充員「二代目豊沢団平」1『上方』昭和八年六月号) 森銑三『明治人物逸話辞典?』下によるツイートする