2009-02-21
■ [方言意識史]寺崎広業の秋田弁
広業先生はいたって磊落《らいらく》で、平民的で、僕〈川路柳虹〉等と一緒に馬鹿騒ぎをした。教室へ来ても、何一つ絵の指導などはされない。いつも漫談なのである。ところがその漫談が、例の難解な秋田弁なので、外国語以上に分らない。
先生は、日露戦役に従軍画家として出征せられた。その時の戦争談が自慢の一つで、時々生徒に話されるのであるが、高潮に達するほど郷土語を乱発される。
「タイフオー(大砲)のたまが、ジドーン、ジドーンとやって来る度に、満洲の赤チチ(赤土)がパとフアネて、こっちゃの方からロスヤ人(ロシア人)の頭がちびり出ると、またあっちゃの方からも、ロスヤ人の頭がちびり出て、赤い血がだんだんと流れ、ヂチに(実に)惨澹たるものであった。」
こんな話を聞いているのもヂチにサンタンたるもので、ただもうおかして、われわれは笑いこけていた。