2007-03-23
■ 上田萬年 促音考
促音に就きては、在来の諸文典にかれこれ説明したるものあれども、大概は其要を得ざるが多し。中には促音とて一箇独立せる音あり、其の独立せる音の符牒に、ツの音 を宛つるなりと論ずる輩あれども、そはいみじきひが事なり。促音とは事実母韻の促る事にて、其の母韻の促る所以は、母韻の発せらるゝと同時に、口腔内喉舌唇いづれかの中に、密閉(フェルシュルッス)起りて呼息の一度停止せらるゝによるなり。たとへば国家(喉的密閉)薩埵(舌的密閉)立派(唇的密閉)に於けるが如し。尤も後には熱心一切等の如き、密閉までには至らざる、所謂,摩擦的(フリカチーブ)なる一種も出で来りたれども、これはむしろ第二次的の者と見て可ならむ。
さて此の促音の写し方に就きては、古来種々の工夫ありたれども、いづれも一長一短にて、先づは今日普通に行はるゝ、ツの字を小さく横へよせて書く方、尤も便利なるが如し。たとへばこッか、さッた、ねッしん、いッさい等の如し。又これを羅馬字にてかくときは、第一の者はko'ka,ri'pa, sa'taなど書くをよしとす。これを英吉利流にKokka, Satta, rippaなどかきては、前のシラブルの子音、発音せらるゝ様に見えて非なり。之を語源的にいへば、前のシラブルの子音は、後のシラブルのかしらの子音と、同音ならでも可なるものなれば、必しも同音に書くいはれなければなり。之に反して第二の摩擦的のものには、nes-shin, isa-sai,など書くをよしとす。これは前のシラブルの子音、確に発 音せらるればなり。
此の促音が上古より邦語中に存せしや否や、よし又存せざりしとする時は、漢学の影響によりて生じ来りしにはあらざるや否や、等は暫く別問題として他日の攻究に譲り、実例の上より其の性質を見るに、予輩は此の上に正しく二種の全く異りたるものあるを認む。
第一 P(H)TKRS等の子音がUnaccented(アンアクセンテット)の母韻に従はれて、P(H)TKSを以てはじめらるゝシラブルの前に立つ時は、前のP(H)TKRS等は大抵後のPTKSの為に同化せられ、従つて其の今一つ前にあるシラブルの母韻を促音として、自らは消え失する場合。
例
持 もちて mo-ti(chi)-te mot-te mo'te もツて
行 いきて i-ki-te it-te i'te いッて
寄 より yo-ri-te yot-te yo'te よッて
一杯 いちはい i-ti(chi)p(h)ai ip-pai i'pai いッぱい
国家 こくか ko-ku-ka kok-ka ko'ka こッか
合戦 かふせん ka-fu-sen kas-sen かッせん
尻尾 しりを si-ri-p(w)o si-po si'po しッぽ
第二 PTKS等の、前のシラブルにアクセントあるによりて生ずる促音の場合。此の場合には前のシラブルには少しの変化もなし。
例
頚引 kubi-hiki kubi'piki くびッぴき
目かち me-kachi me'kachi めッかち
目くそ me-kuso me'kuso めッくそ
耳くそ mimi-kuso mimi'kuso みゝッくそ
水鼻 midsu-hana midsu'pana みづッぱな
無手法 mu-te-ho mute'po むてッぽう
そと so-to so'to そッと
さき sa-ki sa'ki さツき
きくり sa-ku-ri sha'kuri しやッくり
しらこ shi-ra-ko shira'ko しらッこ
下腹 shita-hara shita'para したッぱら
見ともなし mi-to-mo-nashi mi'tomonai みッともない
真黒 ma-kuro ma'kuro まッくろ
真青 ma-awo mas'sawo まッさを
真赤 ma-aka ma'ka まッか
真白 ma-shiro ma'shiro まッしろ
真平 ma-hira ma'pira まッぴら
真直 ma-sugu mas'sugu まッすぐ