2007-03-22
■ [音韻]語学創見 上田萬年 第四 P音考
此事に就きては、本居翁などが半濁音の名称の下に、これを以て不正鄙俚の音なりとし、我国には上古決してなかりし音なりなど説き出されしより、普通和学者などいふ先生たちは、一図に其説を信じて、何事も他の云ふ事を信ぜざるが如し。其誠や愛すべきも、其愚や笑ふべきのいたりなる。茲に予が述ぶる所は、敢てかゝる先生たちを相手としてにはあらず、従ひて唯此上の要旨をのみ述ぶる事と知られたし。
第一 清音と濁音との音韻的関係 もし濁音が清音より出しものなれば、即ちダ行はタ行より出で、ガ行はカ行より出しものなれば、
D=T
G=K
B=(?)=P!!
B音の出し清音は、決してハ行(H)音にもあらず、ファ行(F)音にもあらず、即ち純粋なる唇的清音パ行(P)音ならざるべからず。如何となれば、今日のH音は快して唇音にあらず、純粋の喉音なればなり、而して又同時に、濁音Bは Fの如き摩擦的音にもあらざればなり。
故に悉曇韻学?の上、支那韻鏡学?の上にては、P行は純粋清音の位置に置かれ、B行が其濁音の位置に立ちしは、疑ふべからざる事実なり。しかるに中古以降、音韻の学衰ふると共に、音を音として研究せず、文字の上よりのみ音を論ずる似而非学者出て来りて、終に半濁音などといふ名称までを作り、大に世人を惑はすにいたりたり。
仮りに一歩を譲りて、論者のいふが如く、上古よりP音は存在せず、其の原音はH音なりきとせんか、論者は如何にして左記の諸項を説明せんとするか。
(二)何故に今日の如き喉的H音が濁る必要ありたるか。
(三)よし濁る必要ありたりとするも、喉的H音が濁るに望みて、何故に唇的濁音とはなりたるか。
これと同時にP音ならで、F音なりきと論ぜんとするものは、
(一)V音の存在せること。
(二)V音のB音に変ぜること。
等を証明せざるべからず、これ豈に容易に説き了り得べき問題ならむや。
殊にパピプペポの音は、誠に発しやすき音にして、一歳にみたざる小児すらが、能く発し得る所のものなり。現に国中いづれの処にゆくも、オノマトポエチックに用ゐるパチ/\、パラ/\、ピシ/\、ピン/\、ポツ/\、ポン/\等の音は、普通に発音せられ、又理解せらるるにあらずや。上古の日本国民が、外国音を練習するに当りて、此の発音に苦しみしといふ事は、聊か不思議の至りなりといふべし。よりて思ふに、これは恰も今日のハヒフヘホが、ワヰウヱヲにうつりゆきて発音せらるるが如く、上古のパピプペボは奈良朝以前にありて、次第にハヒフヘホにうつりゆきたるにはあらざるか。而して其のPよりHに至る階級とも見るべき、ph 或はfの発音は、ふ字発音の上、及び奥羽?中国薩摩琉球等の方言の上に徴するを得べきなり。されば是は事実発音難易の論にはあらで、全く流行の結果と見る方適当ならんか。試に今九州人がスナハチといふを聞け。我等の如きスナワチになれたる東京人?には、誠に角だちてをかしく聞ゆるにはあらずや。サッパリといひ、シメッポイといふ、もとこれ上古の音のそのままに存せるもの、所謂流行後れなるものに相違なきも、しかもこれををかしといひて笑ふ人の方が、後世の流行に浮かされ居る事を、よくよく自省せざるべからず。これ猶ほ三井仕立の衣服めしたる姫様方が、小原女のなりふり見て笑ひたまふが如し。
第二 H音は古き音にあらざる事 古くP音ありしことを説くに、猶ほ一の証拠となるべきは、梵漢?の二国語に於けるP音が、日本の波行にて写され居るにかかはらず、梵漢?の二国語に於けるH音が、総て我国にては加行に写さるゝ事これなり。試に左の表を見よ。
Sanskrit 漢音
Ahaha 嘔(候候)
Arahan 阿羅(漢)
Hami (哈)密
Hasara (鶴)薩羅
Maha 摩(訶)
Rohu 羅(胡)
Rahura 羅(〓)羅
Rahura 羅(吼)羅
Rahura 羅(虎)羅
これらの漢字は、以上の梵語を写すに用ゐられたるものにして、現今の支那語よりいふも、又同時に日本朝鮮其他の諸国に入りし支那音よりいふも、皆H音たるべきものなり。然るに此音が、ひとり我国にて加行に発音せらるる所以は、(一)当時我邦にHの喉音なかりし事、(二)なかりしかば、其の類似的喉音K音にて写せし事を証してあまりありといふべし。
第三 アイヌに入りし日本語の事 アイヌはPFHの三音を区別する者なるが、其語を見るに中に左の如き語あり。(バチェロル?氏辞書百七十九乃至百九十三参照)
Pachi 針 Pekere 光
Pakari 量 Pera 匙
Pashui 箸 Pishako 柄杓
Pata 蟋蟀 Pone 骨
Panchi 罰 Puri 振
これらは果して古きアイヌに入りし邦語にはあらざるか。もし新しく入りし者なりとせば、何故にFHを有するアイヌは、之を其の音にて伝へざるか。これ尤も疑ふべき点にはあらずや。
況んや亦日本のヒメコを、第三世紀の支那音にてうつせるものには、正しく卑の宇を使用し、ピとよみたりといふにはあらずや。
第四 上古の音は熟語的促音及び方言の上に存せる事 すべて上古の音は語の中部に遺存し、或は又方言中に保存せらるとは、言語学の予輩に教ふる所なり。試に
すッぱい
おこりッぽい
ゐなかッぽう
等の語を解釈し見よ。パイとははゆきなり、ポイとはおほきなり、ポウとはひとの義なるにあらずや。
又かの沖縄薩摩等、九州の南部にかけて、F音の多く存在することを認むるのみか、沖縄語典の吾人に告くる処によれば、国頭?八重山?宮古?の諸島には、半濁音の語極めて多しといふなれば、此等の上より見ても、現在流行の音がP Ph(F) H Wの転遷をなし来りし事、昭々たるにあらずや。
現に又H音に発音せられ居るものが、一度熟語となるあかつきには、必ずP音となるも、上古よりの慣習をそのままに維持せるものにて、知らず知らず其の癖に支配せらるゝものなり。これには勿論二種あるべし。
いづれにしても、熟語法の時に、上古の形態を維持するといふ心理的連想法の大法だけは、恰もPFHWの濁音が何時もBの一個にて代表せらるるといふ事と共に一貫して進みたる者なりと謂つべし。Fが促音を受くれば、英語oftenに於けるFの如くなるべし。Hが促音を受くれば、むしろ独語ach,ich,lochに於けるが如き強喉音
chに近き音なるべし。これが唇的密閉音となる理由、抑も何処にかある。これ又波行が上古P行たりし一証とすべき点なりとす。
初出は明治31年1月(『帝国文学』4-1のp41-46)である。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=59001600&VOL_NUM=00000&KOMA=21&ITYPE=0
には
(明治三十三年一月稿)
とあり、発表年をそれによっている人も多い。