2006-03-03
■ [江戸語]江戸訛・本江戸(式亭三馬『狂言田舎操』)
ハテ江戸訛(えどなまり)といふけれど。おいらが詞(ことば)は下司(げす)下郎(げらう)で。ぐっと鄙(いや)しいのだ。正銘(しゃうめい)の江戸言(えどことば)といふは。江戸でうまれたお歴(れき)々のつかふのが本(ほん)江戸さ。これは又ほんの事(こっ)たが。何(いづれ)の国(くに)でも及(およ)ばねへことだ。然様(さやう)然者(しからば)。如何(いかゞ)いたして此様(かやう)仕(つかまつ)りましてござる。などゝいふ所は。しゃんとして立派(りっぱ)で。はでやかで。実(げに)も吾嬬(あづま)男(をとこ)はづかしくねへの。京女郎(きゃうぢょうろ)と対句(ついく)になる筈(はず)さ。ちっとお談義(だんぎ)が長(なか)くなるが。江戸は繁花(はんくゎ)の地(ち)で。諸国(しょこく)の人(ひと)の会(あつま)る所(とこ)だから。国%\の言(ことば)が皆(みな)聞(きゝ)馴(なれ)て通(つう)じるに順(したが)って。諸国(しょこく)の言(ことば)が江戸者(もの)に移(うつ)ろうぢゃァあるめへら。そこでソレ。正真(しゃうしん)の江戸言(ことば)は。孰(どれ)か夫だやら混雑(めったくさ)に為(なっ)たといふものさ。それでもお歴(れき)々にはないことだ。皆江戸訛(なまり)といふけれど。訛(なま)るのは下司(げす)下郎(げらう)ばかりよ。
- 安藤正次(1935)『国語発達史序説』p89
- 安藤正次(1936)『国語史序説』
- 東条操(1938)『方言と方言学』
- 中村通夫(1941)「夢酔独言の語学的価値」コトバ3-10(もっと前からの引用)。中村通夫(1948)に再録
- 中村通夫(1942)「東京語の性格」『現代日本語の研究』。中村通夫(1948)に再録
- 中村通夫(1948)『東京語の性格』p13,p205(もっと前からの引用)
- 松村明(1957)『江戸語東京語の研究』東京堂 p13
- 松村明(1986)『日本語の世界2日本語の展開』p56-57
- 杉本つとむ(1960)『近代日本語の成立』桜楓社出版 p247-248
- 中村通夫(1962)「「江戸語」について」中央大学文学部紀要11
- 杉本つとむ(1970)『にっぽん語?』現代教養文庫 p223
- 森岡健二(1972)「現代の言語生活」『文体史・言語生活史』大修館書店 p370
- 小松寿雄(1971)「近代の敬語2」『敬語史』大修館書店 p312
- 徳川宗賢(1978)『日本人の方言?』筑摩書房 p83-84
- 徳川宗賢(1981)『日本語の世界8言葉・西と東』中央公論社 p107
- 田中章夫(1983)『東京語 その成立と展開』明治書院
- 真田信治(1985)「社会の拡大と標準語の推移」『歴史公論』113(1985.4)「江戸時代のマスメディア」 p52
- 真田信治(1987)『標準語の成立事情』PHP新書 p47
- 杉本つとむ(1988)『東京語の歴史』中公新書 p191
- 飛田良文(1992)『東京語成立史の研究』東京堂出版
- 水原明人(1994)『江戸語・東京語・標準語』講談社現代新書 p24
- 菊池武人(1995)『近世仙臺方言書』 明治書院 p250
- 田中章夫(2002)『近代日本語の語彙と語法?』東京堂p287
- 土屋信一「式亭三馬の江戸語観」『国語学』131 1982.12