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2005-03-14

[]橋爪貫一明治事物起原 第八) 16:41 橋爪貫一(明治事物起原 第八) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 橋爪貫一(明治事物起原 第八) - 国語史資料の連関 橋爪貫一(明治事物起原 第八) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 橋爪貫一は、幕府の末、軍艦役並見習を勤めし海軍軍人にて、『幕末明治新聞全集』第五巻尾佐竹猛氏の解題にあるごとし。『内外新報?』『公私雑報?』『日々新聞?』『開智新報?』および『東京新報?』の編輯に従ひ、幕末明治間、新聞界の功労者なり。

 明治六年十月版『童蒙手引草』二編の二に、「貫一は、幼にして父を失ひ、身を歓楽にのみ打任せ、書は地理略説を講ずる能はず、英書は地理書だも読む力なく、身体は衰弱して歩行自由ならず」と、みつから叙べてあるが、その纂訳に係る『開智新編?』巻十の奥に、「編を続で著す所の諸器械の造法は、いつれも我試験をへたるものゝみなれば、万に一つ、此書に仍てなし能はざる君等は、速に礫川金富町御鳥橋前へ尋ね給へ」と記事の責任を明らかにしたるは珍し。橋爪氏、松廼屋または松園と号し、『開智新編』『童蒙手引草』『英語往来?』等、啓蒙的数種の編著あり。

 明治十七年九月八日の『読売』に、松園の脚気病にて死去せる広告は見えたるが、死亡の月日を欠せり。