国語史資料の連関

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2004-02-14

年々随筆[二]〕 〔[[年々随筆]][二]〕 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 〔[[年々随筆]][二]〕 - 国語史資料の連関 〔[[年々随筆]][二]〕 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

から書、仏書などの古本どもに、四声をさしたるは、みなよみざまの上り去りなり。そのかみはかりそめに書よむにも、訓詁の典雅なるは、さるものにて、よみごゑの上りさがりまで、とゝのへて、うるはしくめでたかりしを、近ごろは、【荻生惣右衛門といひし人、をやくなきものにおもひ、音がちによみなし、てにをはもとゝのへず、いやしげに物せしが、かく下れる時世にあひて、あまねくなれるなりといふ人あり。さる事にや。】ひたすら相伝といふ事をやぶり、見識といふものをさきにして、みだりに物するやうになりて、おのれが知見の陋きまゝに、かやうのすぢをも、みな迂遠なりと心えて、鄙俚きよみざまに物するゆゑ、清濁四声訓詁の則など、やう/\うせて、その定なる書、をさ/\みえずなり行は、あたらしく悲しきわさなり。天台真言の経疏の類は、印本にもおほく声をさしたり。それにしたがひてよむともみえざなれど、告朔?の〓羊にていとうれし。皇国の書も、国史、令律などうるはしき物はさらにもいはず。歌物語といへども、上り去りおごそかにとゝのへてよみし物なり。顕昭古今集?は、注にすら、清濁四声をさしたり。今の学者は、かゝる事あるものともおもひたらず。

古事類苑文学部音韻四声