国語史資料の連関

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2003-06-01

神宮文庫玉篇岡井慎吾『玉篇の研究』神宮文庫本玉篇(岡井慎吾『玉篇の研究』) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 神宮文庫本玉篇(岡井慎吾『玉篇の研究』) - 国語史資料の連関 神宮文庫本玉篇(岡井慎吾『玉篇の研究』) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

        (4) 神宮文庫

 以上の三種が僅に三年の間に出でたるに、神宮文庫本は殆ど十年にして始めて刊行せられたり。その跋文

顧野王玉篇の第二卷(この上に廾の字を脱せり)、欸しで曰はく「延喜四年正月十五日收爲典藥頭宅書」と、印記ありて又「房」と曰へるも隱々としで辨ずべし。是は延喜年間皇太神宮禰宣譜圖牒の背面なり。我が國古、紙に乏しかりしかば紙背に書を作りし者往々之あり、此も亦其の類か。荒木田神主藤波某の舊藏に係れるが今は神宮廳庫に歸しぬ。古人いふ紙の壽は千年と今已に之を過ぎたれば、老紙にて損じ易きこと蒲質も啻ならず、頃日相謀りて重ねて装潢(もと演に作る)を命じで保存したれば、別に一本を模して版に鋟して以て博古の資に供す。夫れ譜圖牒も固より珍とすべきも玉篇古本も亦獲易からず。朱錫鬯重刊玉篇に序して曰はく「顧氏玉篇は許氏の説文解字に本づきで稍升降損益あり、唐の上元の末に迨んで處士孫強?稍其の字を増多したれば顧氏の舊に非すと雖も然も古を去ること未だ遠からす.今の行はる丶大廣益本玉篇に愈《まさ》れり」と、然らば斯の篇、彼の土にて既に輙く見るべからざるに、我が邦にては千餘年の久しきを歴て儼然としで猶存して遂に神宮廳庫に歸す。安ぞ神明呵護して之を致すに非ざるを知らんや。謹みて自る所を書して跋と爲す。

   明治二十七年春四月      神宮禰宜正七位東吉貞撰す

とあるが、余はこの跋文に對して疑なき能はず。「是は延喜年間皇太神宮禰宜譜圖牒の背面なり」と云へるは譜圖牒先づ存して其の背面に玉篇を寫したるものと見たる書方なり。然るに余の目睹せる所にてはその譜圖牒には徳治二年禰宜に任命せられたる人さへ記入すれば(徳治延喜より六百三十年の後たり)決して延喜年間の物に非ず、即ち玉篇の背面を利用して譜圖牒を記したるにて、跋文のいふ所は本末を顛倒したるべし。又この本は「別に一本を模し」たるなればにや筆者の失念なき能はず

厂部厬の注、この本は「有」の一字あるのみなるが、原本には「有鮪反」とあること古逸本と同じ (廿四枚裏第二行)

阝部陭の注、この本は杜の一字あるのみにて四字分空白なるが、原本には「杜預曰陪加」の五字たること亦古逸本と同じ(五十枚裏第五行)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1147873/89