2003-07-01
■ [方言意識史]井村倫子『飛烏清子の母として』
「共通語励行」という言葉を、日本の何人の方たちがご存じでしょうか。沖縄には、その土地その土地で方言がいっぱいあったのです。私の両親は教員をしていましたので、方言は使わなかったので、沖縄人である私たちでさえわからない言葉がいっぱいありました。
そこで、沖縄全土にわたって、方言は喋らないように、標準語を喋るようにという「共通語励行」という運動があったのです。私のすぐ下の後輩の頃までありました。方言で話すのは、いやしいことだと言われていました。
どうしても方言を喋る子は、紙に「私は方言を喋りました」と書いた大きな看板のようなものを首からぶら下げられて、一日、学校で過ごさなければならなかったそうです。子ども心に、ずいぶんの屈辱であったろうと思います。
(p.218)
飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記 (1980年) (ノン・ブック)
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