国語史資料の連関

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2003-03-04

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 明治六年十月版『学問のもととすゑ』に、「中にも女学、母教とて女も学問して、物の道理に通じ、其子を教へ育つることを大事とす」云々。また明治四年十一月九日、留学五少女皇后宮に謁見の節、「追々女学御取建の儀に候へば、成業帰朝の上は云々」の書き付けを賜ふ。また『明六』八号、箕作秋坪教育談中に、「今より盛んに女学を起し、力を尽して女子を教育云々」の語あり。右の女学は、ともに女学校の儀なるべし。

 明治二十一年夏の『経済雑誌』に、「若し女学と云へるものあらば、余輩は、男学青年学老婆学なども有るべき筈なり」と難じたるに対し、『女学雑誌』これを弁じて、「当初吾人が始めて女学なる新文字を申出し、定めし窮屈なる漢学者には叱られ相なる熟字を製造したること、何さま開闢以来本邦に類なきの学問にして、已むを得ず大胆にも斯る調合をば致したるものなり。女学は即ち〈婦女子に関する一科の学問〉といへることなり」といへり。

 かく論難したる新熟字女学の二字も、今日にては、絶えて怪しむ者なきに至れり。