2003-03-05
■ [学史]大学における古典講習科(明治事物起原 第七学術)
明治十五年五月三十日、東京大学文学部附属として古典講習科を置けり。これより先、総理加藤弘之、挙世滔々として洋学に趨り、本邦古来の文化のよりて起こるところの古典を顧みる者なからんとするを歎き、これを保護奨励する意味にて、その講習科を設けんことを欲し、十二年十二月、これを請へども許されず、総理さらに反覆その趣旨の徹底に勉め、十四年十二月、再び建議し、十五年始めてその設置を見しが、これひとへに、加藤総理の達観といふべきなり。
十五年九月、始めて官費生二十二名自費生十八名を募る。後国書科漢書科とも、生徒の募集は、ただの二回に止まり、十九年、帝国大学成りて、古典科は文科大学に附属せられ、同三月官費制廃せられ、国書科は十九年および二十年、漢書科は二十年、二十一年において、各二回つつ卒業者を出せしに止まり、該科はつひに廃せられたるが、この少数の卒業者中、有為の学士少なからざるべし。