国語史資料の連関

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2003-02-20

[]百科全書の賃訳(明治事物起原 第七学術) 百科全書の賃訳(明治事物起原 第七学術) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 百科全書の賃訳(明治事物起原 第七学術) - 国語史資料の連関 百科全書の賃訳(明治事物起原 第七学術) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 今日、まだ市上にぽつぽつ文部省の『百科全書』を見るべし。数科つつ合はせて立派の洋本に仕立てしものにて、一時相当に世間に出でし本なり。訳者は多勢にて、中には、さツぱり文意の通ぜざる悪本もあり、しかしこの本の由来を極むれば、むしろ分からざるが当然なり。『箕作麟祥伝』中、佐原純一の談話に、この本の賃訳のことが左のごとく出づ。

私は南校に居て、明治四年の七月か八月に、編輯寮の大属になりましたが、其時、箕作麟祥先生が、編輯頭をやつて居られました。其時分先生が頭になつて、フルベツキの持つて居たチヤンブルの百科全書――インフヲルメーシヨンオフピープルとかいふもの百科ばかりあるので、あれを割訳にしようといつて引つぽといて、賃訳に出しました。編輯寮に勤めて居る者でも、学校の教員をして居る者でも、福沢の人たちでも、誰でも英書の読める者には、訳させたものです。私なども、福沢の塾の人にやらせましたが、六ケしいものになると、誰も引受け手が無い。さういふのは箕作先生が引受けて訳されました。箕作先生は、勉強である上に達者でしたから、他の者よりも、余計引受けて、早く出来上つた位でした。

 牟田口元学は、少外史か何か勤めて居ましたが、箕作先生を嫌つて、官吏たる者が賃訳をするのは、不都合千万だといふことを、屡言つて居ました。尤も、箕作先生の収入は、多い方で、多い時には給料より多いこともありました。百科全書の中の、心理学などは、むつかしくつて、、誰も訳し手がない。そんなのは、十行二十字の草稿を、一枚四円で、箕作先生が翻訳されました。休みの日などには、一日に余ほど出来ました。他の人の翻訳は、一番安いのが十行二十字一枚一円でした。あの時分は、まだ今云ふ専門といふものゝ無い時分で、英学の出来る人には、誰にでも訳させたものだから、小林などは、医者で居て、医者に少しも関係の無いものを訳したり、又宗教とか制度と云ふものも、少しもさういふ智識の無い人の訳したものもあります。数学の部を引受けた人が、数学をマルツキリやつたことのない人で、数学の術語意味を訳することが出来なくて、方々人に聞て歩いて居たのを、見たことがありました。随分多い中には、分らないものが出来ました。

   >翻訳書   中村秋香

 横さはふ蟹のあしての跡とめて道しるべする浜千鳥かな

   同     都々逸

 足はぬ私にや読めないしうち、早く翻訳して欲しい

堀越愛国訳の『国民統計学』の奥付に、百科全書の篇名の記載あり。「明治八年七月、文部省出版百科全書、通計九十二篇、二百冊」。速成杜撰のものながら、明治初年、国民の新智識を普遍ならしむるには、多少の効果ありしなり。