国語史資料の連関

国語史グループにあったブログ

2002-06-16

[]和訓栞大綱(155) 和訓栞大綱(155) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 和訓栞大綱(155) - 国語史資料の連関 和訓栞大綱(155) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

漢音長安の音 呉音は江左の音なるへし そのゆゑは我邦の西土と使人往來せし始めは後漢書國史等に見えて 垂仁景行神功の御代にあたれり 況んや後漢倭傳に自武帝朝鮮使驛通於漢者二十許國國々皆稱主といへるは國造縣主なとの私に通せしもの かく多かりしと見えたれは此時既に漢音は熟すへけれと我國史にはこれを載せす その國史に見えたるは應神紀を始めとして呉と書せりことに書を讀しもまた此時に始まれば諸の舊記にまつ呉音を傳へしさまにはいへる成べし 呉はもとも吾方に近き國なれはその音もまた習ひ易かるへし されと應神三十七年に記させられたれは晋に併せたる後なれと西朝には達せさるにや 猶三國の時の遺名によりて呉とはいへる成へし 此後雄略天皇の御代呉と往來せし事見えたり 是は南宋の時にてもとより朝廷に達せし事詳かに宋書に見えたり 宋は東晋の禪を受て江東に都せしかはまた舊によりて呉とはいへる成へし 此後推古の御代に隋に聘せられしを日本紀に大唐と書るは隋はほとなく唐に禪り唐家久しく治りてめてたき國號なれは後よりかくは書させられぬる成へし 此後孝徳天智の御宇に至りて禮樂制度多くは唐に擬せられたれは音もまた改まらすんはあるヘからす その上呉もと南方荊蠻の國邊土の音なれは刊誤にも呉民之言如病〓風而禁ともいひ 馬伯庸も四方偏氣之語不相通暁惟中漢音四方可以通行といへれは もはら漢音を習ハしめられたると見えたり 前漢長安に都し後漢は洛陽に都し隋唐ともに長安の都なれは是を漢音といひ中原の正音とはする也