国語史資料の連関

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2002-06-15

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悉曇三密鈔に初ノ金禮信來留對馬島 傳呉音國學之固名曰對馬音表信公來筑ノ博多漢音是曰唐音と見え 悉曇藏にも金禮信表信公を舉て我日本元傳二音と見えたり されといかなる書に出ていつれの代にあり いつくの人なりしやらん いまた詳ならす 對馬貢銀記には欽明天皇之代佛法始渡吾土 此島有一比丘尼呉音傳之と見え 政事要略大織冠鎌足執政ノ時百濟ノ禪尼法明來于對馬島呉音維摩経呉音對馬讀呉音之源起也といへり 聲音對に呉人來在應神天皇崩年與尼相隔三百餘年其取始失考也といへれと貢銀記に日域の経論皆用此音故謂之對馬音とあれは尼ハ佛経に呉音を用ゐし始成へし 松下氏*1の説に菟道ノ稚郎子《ワカイラツコ》師王仁習諸ノ典籍是漢音之始也といへるは心得かたし 王仁の名さへ古事記には和邇と出したれは此時の音ハ呉音なること知ヘし よて古書音讀日用の俗語多くは呉音なりき されは宋の石林送順空偈にも自作呉音唱月彎といへり 王仁百済の人にて其國もまた呉に近けれハさもありぬへし 漢音推古天皇の御代遣唐使以後の事なるへし 音博士大唐續守言薩弘恪に物を賜ひしこと持統紀に見えて儒釋ともに漢音を習はしめられし事後の國史に見えたり 洛の東寺の経藏に納る所の大政官符に應讀佛教経、呉音儒道兩典漢音醫書随文便二音交雑といふ事ある書に見えたれは正史には出ざれども世にいひ傳へし證とすへきにや 韵學私言にも及中葉定令式使讀儒典以漢音讀佛籍以呉音道書醫卜之記呉漢雜行承傳至今不之改矣といへり 今眞言理趣経バかり漢音によめり所以ある事にや

*1松下見林なるべし