2015-01-05
■ [方言意識史]汽車が逢阪山のトンネルを西へ抜けると、大阪弁が急に耳に押し寄せてくる(宇野浩二)
「僕は昔からかなり毛ぎらいをしたもんで、美校(美術学校の意)にいた時分なども、かなり友人たちを毛ぎらいしたもんで、殊に自分が大阪もんだけに、大阪人を非常に嫌がったもんや。東京から夏休みに帰る時など、汽車が逢阪山のトンネル(山城と近江の境)を西へ抜けると、ぱッと世界があかるくなるのは愉快やが、わッと大阪弁が急に耳に押し寄せてくるのんが何よりもむッとする。考えてみると、それは自分が大阪のまん中で生まれた生粋の大阪人であるので、尚更にがにがしい気がするんかと思う。それやから、学校にいても、大阪から来てるやつとは殆んど言葉をまじえんことにしていた。それは、日本人が西洋に出かけると、日本人に出あうことを申し合わしたようにいやがるのと同じようなもんや。」
ざっとこういう意見を古泉が述べた時、島木は心から同感の言葉を放ったものである。