国語史資料の連関

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2013-01-02

柳田国男『方言覚書』自序 柳田国男『方言覚書』自序 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 柳田国男『方言覚書』自序 - 国語史資料の連関 柳田国男『方言覚書』自序 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 方言について私の書いたものは、まだこの以外にも大分散らばつて居る。よい折が有つたらそれも取纒めて、一冊の本にしたい望みはあるのだが、其前に一言だけ、是非とも明かにして置かねばならぬことは、自分が此類の小さな資料整理を以て、すべて民俗学のしごとだと、思つて居るわけではないといふことである。二つの学問の間には堺が無ければならぬ。私は小さい頃に生国を離れて、耳に珍らしい他郷の言葉の中で育つたのみならす、学校や旅や又都府の社交に於て、さま/゛\の人の物言ひを比較するやうな機会を、誰よりも多くもつて居た。単なる人生の切れ/゛\の知識として、是が何かの役に立つといふことに気づかぬ前から、方言は既に私の一つの興昧であつた。古い語辞表現の今は亡び、もしくは始めから全く備はらなかつたものに、無数の現代の言の葉が生れて居ることを、読書によつて追々と知るやうになつてからは、是には何か新らしい必要、もしくは理由が無ければならぬと思ひ始めた。又さういふ風に考へて行く学問に、少しづゝ私は親しんで居たのでもあつた。それから一方には永い間の一身の経験、国語に対する期待の此様に盛り上つて来た時代にも拘らす、言葉は良くなつたといふ人が至つて少なく、悪くなつて行くかと憂ふる声さへ聴える。教育者が標準語といふ語を使ひ出してから、四十年はもうとつくに過ぎたのに、どうかして貰ひたいといふ請求が、改めて海外の在住者から頻りにやつて来る。是は一体何としたことであらう、といふ疑ひはひし/゛\と答へを迫るのである。仮に私が井の中の蛙で、東京語日本語のけぢめも判らぬ者だつたとしても、もう今頃は何か考へすには居られなくて居たであらう。まして私たち田舎者は、毎日この問題に苦しみ抜いて来たのである。或は無益であり、誤りであらうかと恐れつゝも、この不可思議の源には探り寄らすには居られなかつたのである。幸か不幸か耳を傾ける人が少なかつた為に、此様な雑然たる文章が世に遺ることになつた。即ち少なくとも当代の文化は、まだ斯ういふものを無用にはしてくれなかつたのである。

 力の乏しい者の色々の智慮才覚が、時に応じて織り込まれて居る。私は根本に於て時代変遷といふものが、原因無しには起り得ぬことを信じて居るが故に、或時はこの眼前の世相に基づいて、既に埋もれきつて居る父祖の生活を、想定することが出来るやうに考へて見たこともある。それを探り究める為には、先づ国語が大よそどういふ法則に遵うて、移り又改まるものであるかを、わかるだけは知つてかゝらうとしたこともある。それには現在集まつて来て居る資料だけでは、十分で無いことを感じて居るので、交友を地方に結び、方言観察の興味を説き立て、熟心なる同志の活躍をすら、なほ歯痒しとして激励したこともある。しかもその動機がすべて現実の疑惑に在つたことは、幸ひに漸く認められようとして居るのである。我々の国語が大いに進むべくして、今なほ未来に期待しなければならぬものゝ多いのは、原因は一種の無知、即ち何故に地方の言葉が、いつと無く此様にちがひ、又それでも辛抱することが出来たかを、知り究めようとしなかつたからでは無いか。是がさし当つての大いなる不安であり、又どうしてもそれを忍ぶことが出来ぬやうに、既に世の中はなり切つて居るのである。

 斯ういふ心持をもつて書いたものが、終にこの一巻の覚書になつてしまつた。或は方言の知識の利用と、方言発生の理法に関する考察と、その実例資料の蒐集の問題と、三つに分けて見た方が堺目がついてよかつたかも知れぬ。それも少しく試みたのではあるが、もと/\一つの心持が根になつて居るのだから、それをはつきりとすることが出来なかつた。其上に是は一つの方法の応用であつて、たとへば民俗学を無視しようとする人たちでも、恐らくは是以外の方法に拠つて、ちがつた結論に導くことは出来ぬことであらうし、一方其前提とした事実の誤りは、いつでも採集と解釈との進歩によつて、訂正することが出来るのである。三つのしごとは互ひに搦み合つて居る。さうして現在は国語統一の急務が、話し言葉研究の大飛躍を要望して居るのである。私は国を愛する一国民として、主力をこの一点に集注して少しも悔いない。我々の母の言葉が清く且つ豊かに、誰でも一色で物を言ふことが出来るやうになれば、そればかりを以てもう十分に満足する。日本民俗学の効用を説き、あはよくは其領分を広めようとするなどは、決して此書の心ざすところでは無い。それよりも寧ろ方言の研究をこちらへ押付けて置いて、いつまでも国文講読に専らで居るやうな国語学者の、跡を絶たないことのみを怖れて居る。                   (昭和十七年二月)