国語史資料の連関

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2013-01-01

柳田国男『毎日の言葉』新版自序 柳田国男『毎日の言葉』新版自序 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 柳田国男『毎日の言葉』新版自序 - 国語史資料の連関 柳田国男『毎日の言葉』新版自序 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 国語史という言葉を、私だけはやや弘い意味に使って居ります。日本では文字の使用が遅く始まり、その以前はいわゆる語り部時代、即ち口から耳への感動の引継ぎを以て、記録に代えて居た期間が、驚くほども永く続きました。今でも物覚えのよいという例は、女性の間などに稀ならず残って居ますが、以前は必要があった為に、その人を選定し養成し又大いに優遇したのであります。もとより其能力には限度がありました。殊に千年以上もの永い歳月の間には、変ったり消えたりするものの、次第に多くなるのは免れませぬ。我々の国語はむしろ斯ういう活用のために、烈しい盛衰をしたかとも推察せられます。史は文字の事業だという漢字の定義にとらわれて、我々の国語史がこの期間を、考察の外に置くことを許されぬのは当然であります。

 我々の上代史書が、当時手の及ぶ限りの伝承を集録して、必ずしも異同を取捨しようとしなかったことは、神代巻の多くの「一書に曰く」を見渡しただけでもよくわかります。色々の力強く美しい単語は、多分は語り部の口を経たもので、当時の日本人言語能力の、既に十分に成熟して居たことが窺われます。しかも神々の御名を始めとし、地名や物の名の端々には、現代は言うに及ぼず、中古全く忘却せられて、命名の動機の知り難いものが多いのは、乃ち亦我々の国語史の、遠く文献以前に溯るぺきものなることを示して居ります。日本方言と呼ばれる地方語の中には、中央で久しく忘れられた昔の言葉の、形なり心持なりが消えずに居て、大きな色々の手掛りを与えるものが有りそうです。「毎日の言葉」をただ一身の修養の為で無く、それをこの民族の根元を明るくする為に、兼て又遠い末の世を計画するの料に、追々と考えて行くような世の中の到来せんことを、私は独り夢みて居るのであります。

昭和三十一年七月