2011-04-16
■ 大矢透『音圖及手習詞歌考』 第二章 阿女都千詞 第二節 阿女都千詞に對する先哲の所見
亡父また云、なには津あさかやまの後は、あめつちほしそらといふことを手ならふ人のはじめとしけるにや。文字の數四十八なり。順が集、また加茂保憲女集等にあめつちの歌は見えたり。かのふた歌は、おなじもじかさなりてもあり、もれたるもじもあれば、天地の歌はその後にぞいできたるらんとおぽし。下略
古言衣延辨の古事記書紀は、更にもいはず、およそ、延喜天暦の頃より、さきつかたの書どもには、皆此阿行夜行のわかちありて、聊も誤る事なかりしを」とある、細注に、
是によりておもふには、天地の哥は、中ばよつり、何のことゝも聞取がたけれど、衣の江とあるは、必ず榎の枝なるべくおぽゆ。然るときは、榎は阿行、枝は夜行也
と見ゆ。是初めて、古來未解のエノエは、此の人に到りて、快く解せられたり。こはアヤ二行のエの分別を解せられざる間は、到底解せらるべきことならねぱなり。
天朝墨談に、あめつちの詞を擧げて後に、
此歌末のかた、何とも聞とりがたし。順集の歌の列あやまりたるにや、さて是は四十八字ありてえ二つあり。其の歌は
えもいはで戀のみ増る心かないつとや岩におふる松がえ
えもせかで泪の川のはて/\やしひて戀しき山はつくばえ
かく二首とも、えの音によまれたれど、是は誤りにて、えと延なるべし。上古かな遣ひに衣延の別ありて、たゞしかりしこと或貴人の考あり。【】。今は。もはら高野大師のいろは歌を、手習のはじめにする事とはなりぬ。是は四十七字に延なし。【】
比古婆衣【】安米都知誦文考の條に、順集の事、何くれといひて、あめつちの詞を擧げたる次に、
然るに、戀部えの位に、えもいはで云々、おふる松が枝と有りて、次にのこりなく云々その次に又えもせかぬ云々、山はつくばえとありて、四十七首の外に、えもじの歌一首あまれり。相模集なるこのあめつちをよめる歌にも、然る次第に見えたるが上に、【註略】此の順集の歌の題の下に四十八首ともあれば、全文にえもじ二つあるに合ヘり。さるは、いかなることか、さらに心得がたし。しひてたすけていはゞ、もしくは、あめつちほしそらといふことに、二音づゝととのへて四音を一句として唱へんには、四十七音にては、二音足らざれば、其の句をとゝのへむとして、え音を一つ加へて、唱へなれたるにもやあらむ。
文藝類纂の習字沿革に、初めに古今序、源氏などの手習のことをいへる文を引きて、次に字津保のあめつちとあるところ、又順集のあめつちを擧げて後、
以上天地星空山川峯谷雲霧室苔人犬上末の義なるべけれど、ゆわさる以下解すべからず。且えの一つ多きは延の音かとおもはるれど、其の義解しがたく、且順は衣の意にてよみたれば、何の爲とは解し難し。但しこれに擦りて我が國イェとエの二音別あるが如くいひなせども、實は然らざること下の假字音説の下にいへるが如し。
と見えたり。
右の如く、阿女都千詞に對してエノエの、榎の枝の義なるをば解し得たる奥村氏の如きはあれど、他は皆ユワサル以下は解し難しと爲さゞるはなし。而して編者の考ふるところは、次節に述ぷ可し、