2011-03-31
■ 松尾捨治郎校註『あゆひ抄』おほむね下(5)
又曰、てへ・めれ・ね・などふし(註一)たるあゆひは、みな[めのまへ](二)也、・[しか]なども[めのまへ]にかよへり。
又曰、末をも引・靡・をも(三)うくる脚は、末をうくるが常にて引・靡・をうくる時は、靡に名を總てうくべきを、はぶきたるこゝろ也。これを心えて、引・靡・に[ノ]といふ里言をくはへてあつ。ノもじを名にかふるなり。たとへば、[と]といふ脚、末をも引・靡・をも(三)うくるに、[人くと](四)と末をうけたるをば、[人ガクルト]と里し、[心のくると](五)と靡を承たるをば、[心カクルノト]と里す。[心ノくる人]といふべきを、[人]といふ名をはぶきたりと心うる故也。
私云、名目抄(六)のうち、此の抄をよむに心得べきかぎりを左に註す。
たちゐ・おきふし・なばる・世にいふ同音相通(七)・同内相通(八)・也。
あぬき(緯)(九)をたつといひ、いぬき(緯)をおくといひ、うぬき(緯)をゐる、えぬき(緯)をふす、おぬき(緯)を(一〇)なばるといふ。たゞ立居とも起ふしともいふは、相通のこゝろなり。
これを用る時、たて・ふせ・すゑ・おこす・などいふ。くはしくは、左のかたがき(一一)を見て心うべし。
註 (一) え列に變化する。
(四) 古今、梅の花見にこそ來つれ、鶯の人來くと厭ひしもをる。
(五) 後撰、駒にこそ任せたりけれ、あやなくも心の來ると思ひけるかな。
(六)成章の別著、十二抄の一だが、今は傳はらない。
(七) 同列の音の通ずること。
(八) 同行の昔の通ずること。
(九) あ列。
(一〇)落とす・思ほす・などのと・ほ・をいふ。隱れた活用の意。
(一一)表。