2010-03-07
■ [音韻]「ちつの濁り」(『年々随筆』)
九州、四国の人の物いひには、ちと、しと、つと、すとの濁音、おのづからわかるといふ。常其国々の人にあひて、物いふはきゝながら、心もつかで過しつるを、さいつ比、思ひおこして、松平肥前守殿の家臣峰六郎矩当といふ人のもとに行たり。物語するほどに、心をつけてきけば、おのづから分別あり。
ちつの濁りは、舌短き人の物いふごとく、おもくいひがたきが如し。さるは舌のさきを、上顎にさしあてゝ、ぢといひ、づといひながらはなつ故、おもくいひがたきが如きなり。じずはいひざま、やゝかろくやすげなり。いひはじむるほど清るが如くにて、末にごる。おもふに舌を下齒にさしあてざまにいふ故、舌の齒にいまださしあたらぬほどは、清音の如くにて、あてはつれば濁るにやあらん。分明に聞わけて、けふはかう/\の事にて、それ聞分むとて、來つといひてさてかへりぬ。其後も、其國々の人に逢て物がたりするに、すべて心もつかず
橋本進吉『国語音韻史』所引
p.106
ちつの濁りは、舌短き人の物いふごとく、おもくいひがたきが如し。さるは舌のさきを、上顎にさしあてゝ、ぢといひ、つといひながらはなつ故、おもくいひがたきが如きなり。じずはいひざま、やゝかろくやすげなり。いひはじむるほど清るが如くにて、末にごる。おもふに舌を下齒にさしあてざまにいふ故、舌の齒にいまださしあたらぬほどは、清音の如くにて、あてはつれば濁るにやあらん。分明に聞わけて、けふはかう/\の事にて、それ聞分むとて、來つといひてさてかへりぬ。其後も、其國々の人に逢て物がたりするに、すべて心もつかず