2009-04-12 2009-04-12 ■ [方言意識史]織田作之助 今日大阪の言葉は文学や演劇や映画の中で、三番手のぼうっとした間抜けた男を表現する手段として嘲笑的に使われている。ひとつにはつねに阿呆の相棒を必要とする落語や漫才が大阪弁の品位を下げてしまったこともその原因であろう。が、いずれにしても大阪弁がこのように下落したということは即ち大阪の文化的下落を物語るものである。 織田作之助「大阪の顔」 『京ことば・大阪ことば』浪速社 1965 p.86ツイートする