国語史資料の連関

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2009-02-25

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長嶋は、立教大学に入学して東京に出てきたころから、自分が田舎者であることを痛感させられる。彼は自らの千葉方言に負い目を感じ、野球部の寮の電話番を忌避していたというのだ。「おまえは練習せんから、チト、ハア、いかんのじゃあ」といった具合に、大学時代の長嶋の喋る言葉には、妙なところで「、チト」と「ハア」という言葉挿入された。そのため、彼に「チトハア」というあだ名までついたくらいだった。ところが長嶋は、「方言を直そうという努力などまったくしないで、合宿所にかかってきた電話にいっさい出ず、電話番の仕事を必死になって逃げまくっていた」と、杉浦氏はいう。

「チト」と「ハア」が、現在の「いわゆる」と「ひとつの」に転化したのかどうかはともかく、長嶋が方言を直す努力をして、それに成功していたなら、のちのスーパースターは誕生しかなかった……というのは穿《うが》ち過ぎだろうか。しかし、小学生の原辰徳が、福岡県の三池から神奈川県の湘南に引っ越してきたとき、「ばってん」という九州弁にまったく悩むことなく、逆におもしろい言葉を使うという理由で人気者になり、そのうち、彼自身の九州弁も消えてしまった……という事情と、長嶋の心の底にわだかまっていたものとでは、そうとう趣が異なっていることだけはたしかなようだ。

玉木正之編著『定本長嶋茂雄文春文庫 p.21