2007-11-29
■ [言語生活史][言語教育]素読を習う(露伴)
手習いの傍、徒士町の會田という漢学の先生に就いて素読を習いました。一番初めは孝経で、それは七歳の年でした。元来其頃は非常に何かが厳重で、何でも復習を了らないうちは一寸も遊ばせないという家の掟でしたから、毎日々々朝暗いうちに起きて、蝋燭を小さな本箱兼見台といったような箱の上に立てて、大声を揚げて復読をして仕舞いました。そうすれば先生のところから帰って来て後は直ぐ遊ぶことが出来るのですから、家の人達のまだ寝ているのも何も構うことは無しに、聞えよがしに復読しました。随分迷惑でしたそうですが、然し止(よ)せということも出来ないので、御母様も堪えて黙って居らしったそうです。此復読をすることは小学校へ往くようになってからも相替らず八釜敷いうて遣らされました。併しそれも唯机に対って声さえ立てて居れば宜いので、毎日のことゆえ文句も口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞って居るものですから、本は初めの方を二枚か三枚開いたのみで後は少しも眼を書物に注がず、口から出任せに家の人に聞えよがしに声高らかに朗々と読んで居るのです。而(そ)して誰も見て居ないと豆鉄砲などを取り出して、ぱちりぱちりと打って遊んで居たこともある。そういうところへ誰かが出て来ると、さあ周章(あわて)て鉄砲を隠す、本を繰る、生憎開けたところと読んで居るところと違って居るのが見あらわされると大叱言を頂戴した。http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card1443.html
前田愛「音読から黙読へ」「文句も口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞つて居るものですから、本は初めの方を二枚か三枚開いたのみで、後は少しも眼を書物に注が」