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2007-08-26

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第一講

       小品文

 小品文とは、短い文章と言ふ事である。文章を區別して見ると、叙事文、叙情文、議論文、書翰文などになるが、小品文は、叙事、叙情、議論いづれに限らず、短いものを指したもので、人によつて、その長い短いの程度も違ってゐるが、茲では短い文章と言ふ意味にとれば宜い。

 そして、この小品文を書くには、どうしたなら上手になれるかと言ふに一體、文章は、書や字と違つて、そのまゝ他人の書いたものを眞似る譯に行かないから、習ふにも面倒である。從って文章作法だの文章講話だのと言ふ書物を讀んだ所で、それで直ぐ文章が書けるものでない。

 然らば文章を書くには、何ういふ風にすれば宜いかと云ふに、それは書物を讀んで思想をこしらヘた上で、自分でも多く作って、自然とその法を悟ると云ふ事になるが、そんな事を云ってゐては、學問の淺い思想のすくない人には、文章は書けないと云ふ事になる。從って、文章を稽古しようとする人も無くなる、其所で私が考へるには、少しも文章の事を知らない人が、文章の稽古をする一番はじめは、昔の思出、自分で遣った事、眼の前に見た事、人から聞いた事、なんでも宜いから、それを友達か何人かに話して聞かせる積りで、漢字を知らねば假名ばかりでも好い、話しを紙へ書くと思って、そろ/\書いてみる。それが即ち文章である。そしてそれが宜い文章であるか、悪い文章であるかは、出来上つた上で、見返して見て、話が順序よく書けてゐるか、思ふた事が皆書けてゐるか、何人に話しても分る様に書けてゐるかと言ふ事を考へた上で、話が順序好く書け、思ふた事が書け、他人に分るやうに書けてゐるなら、夫は宜い文章である。

 併し、順序よく書け、思ふた事が書け、他人に分るやうに書けてゐるにしても、その言ひ方が下手であって、短く言って分る事を長たらしく言つたり、重くカを入れて言ふべき事を軽く言ったり、精しく言ふべき所を簡單に言つたり、まはりくどく言ったり、ぞんざいに書いたりしてあっては宜い文章とは言へない。短く言ふべくして短く言ひ、重く言ふべくして重く言ひ、詳しく言ふべくして詳しく言ふのが、文章の秘訣である。