国語史資料の連関

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2007-08-14

[]大槻文彦『言海』「本書編纂大意大槻文彦『言海』「本書編纂の大意」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 大槻文彦『言海』「本書編纂の大意」 - 国語史資料の連関 大槻文彦『言海』「本書編纂の大意」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

(一)此書は、日本普通語辞書なり。凡そ、普通辞書の体例は、専ら、其国普通の単語、若しくは、熱語(二三語合して、別に一義を成すもの)を挙げて、地名人名等の固有名称、或は、高尚なる学術専門の語の如きをば収めず、又、語字の排列も、其字母、又は、形体の順序、種類に従ひて次第して、部門類別の方に拠らざるを法とすべし。其固有名称、又は、専門語等は、別に自ら其辞書あるべく、又、部門に類別するは、類書の体たるべし。此書編纂の方法、一に普通辞書の体例に拠れり。

(二)辞書に挙げたる言語には、左の五種の解あらむことを要す。

  • 其一、発音発音の異なるものには、其符あるを要す。例へば、さいはひ(幸)は、さいわいと発音し、あふぎ(扇)あふみ(近江)は、おうぎ、おうみと発音し、あふぐ(仰)あふひ(葵)は、あおぐ、あおいと発音し、はふ(破風)らう(煙管竹)は、仮名のままに発音すれども、はふ(法)らう(牢)は、ほう、ろう、と発音するが如し。是等の異同、必ず標記せざるべからず。
  • 其二、語別。例へば、やま(山)かは(川)等の名詞なる、われ(我)なむぢ(汝)等の代名詞なる、ゆく(行)きたる(来)等の動詞なる、よし(善)あし(悪)等の形容詞なる、なり(也)べし(可)等の助動詞なる、はなはだ(甚)かならず(必)等の副詞なる、また(又)さて(扨)等の接続詞なる、が・の・に・を・は・も・ぞ・こそ等の天爾遠波なる、ああ(噫)かな(哉)等の感動詞なるが如き、其他、数詞枕詞、発語、接頭語接尾語の類語毎に必ず標別せずはあるべからず。
  • 其三、語原の説くべきものは、載するを要す。例へば、くれなゐ(紅)は、「呉の藍」の約なる、ほしいままに(恣)は、「欲しき侭に」の音便なる、だんな(檀那)は、梵語、陀那鉢底(施主)の略転なる、びろうど(天鴛絨)は、西班牙語Velluda.の転なるが如き、是等の起原、記さざるべからず。
  • 其四、語釈、語の意義を釈き示すこと、是れ辞書の本分なり。例へば、さいはひ(幸)は、「好き運命」、くれなゐ(紅)は、「色の赤くして鮮なるもの」、の如き是れなり。又、其意義の転ずるものは、区別せざるべからず。例へば、やま(山)(第一)本義は、「土の平地より高きもの」、(第二)転じて「物の堆く積れること、」等の如く、又、だんな(檀那)(第一)本義は、「僧より施主を呼ぶ称」、(第二)転じて「家人より主人を恩義あるに就きて呼ぶ称」、(第三)更に転じて「商業よりして顧客を敬ひ呼ぶ称」等の如し。
  • 其五、出典。某語の某義なることを証せむとするとき、其事は某典に見えたりと、其出所を挙ぐること、是れなり。

以上五種の解ありて始めて、辞書の体を成すといふべし。此書も、一に其例に従へり。

(三)日本語を以て日本語を釈きたるものを、日本辞書と称すべし。従来の辞書類、和名鈔新撰字鏡類聚名義抄下学集和玉篇節用集合類節用集伊呂波字類抄和爾雅会玉篇名物六帖雑字類編等、枚挙すべからず。然れども、是等、率ね、漢字和訓を付し、或は、和語漢字を当てたるものにて、乃ち、漢和対訳辞書にして、純なる日本辞書ならず。而して、希に注釈あるものも、多くは漢文を取れり。又、其語字の排列、索引の方法も、或は漢字偏旁画引に従へるあり、又或はいろは順に従へるものも、其大別に至りては、率ね部門類別の法に拠れり。

本篇、各語を、仮名にて挙げて、又普通用漢字、又は、漢名を配したり、是れ、尚対訳の体を遺傅せるが如し。然れども、日本普通文の上には、古来、仮名漢字、并用して、共に通用文字たれば、日本辞書には、此一種異様の現象を存せざるを得ず。

其他、東雅日本釈名冠辞考和訓栞物類称呼雅言集覧等、尚あれど、或は専ら枕詞を論じ、又は方言を説き、或は語原を主として、語原を漏らし、或は雅言出典のみを示せり。(語彙は阿、伊、宇、衣の部に止る、惜むべし)以上数書の外に、尚許多ある辞書体のものを、遍く集めて其異同を通考するに、尚、全く発音と語別との標記を欠き、固有名普通語に混じ、且、多く通俗語の採輯を闕略せり。之を要するに、普通辞書として、体裁具備の成書を求めむとすれば、遺憾なきこと能はず。今、本書は衆書の長短得失を取捨折衰し、繁簡異同を刪修増訂して、以て体裁を徴具せしめたり。然りと雖も諸先哲が遺沢なる、是等の諸著作ありたればこそ、本書も成りたれ、されば本書は諸先哲が辛勤功労の集成なりともいひつべし。

(四)辞書は、文法の規定に拠りて作らるべきものにして、辞書文法とは、離るべからざるものなり。而して、文法を知らざるもの、辞書を使用すべからず、辞書を使用せむほどの者は、文法を知れる者たるべし。先哲が語学の書、亦乏しからず、和字正濫抄あゆひ抄かざし抄詞の玉緒古言梯詞の八衢詞の通路山口栞活語指南等、亦枚挙すべからず。或は仮名遣を論じ、或は動詞語尾変化を説き、或は語格起結の法を定め、其苦心考定せる所、粗、尽せり。然れども是等先哲の諸著作は、率ね、言語古音、古義、古格の解し難く誤り易からむものの局虚を釈くを専らとしたれば、通俗語方言等は固より説かず、且、雅言とするものも、音義分明にして、誤るべきやうなきものは、甚だ闕略せり。故に普通文典として、体裁を一書に具備せるもの、固より無く、又衆書を集めて通考するにも、文典の範囲内に於て、未だ論及せざる件、尚、多し。されば、本書を編纂するに当り、遍く古今雅俗の語を網羅して、一一之を区別せむとするに際して、語別、名称の何と呼び何に入るべきか不定なるもの、仮名遣語格不定なるもの古今都鄙、語、同じくして、用法を異にするもの等、輩出して、甚だ判定に苦めり。是に於て、別に一業を起して、数十部の語学書を参照し、仮名遣語格の基本に至りては、契沖真淵宣長春庭義門等、諸哲の規定に拠りて、其他に推及し、而して、西洋文法の位立を取りて、新に一部の文典を編して、其規定を本書に用ゐたり。されば、文法専門の新造語も多く出来れり。此書の篇首に語法指南とて掲げたるは、其文典中の規定の、辞書に用ある処を摘みたるものなれば、此書を覧む者は先づ之に就きて、其規定を知り、而して後に、本書を使用すべし。

(五)従来、語学家は、概して、古くよりある語を雅言と称し、後世出来れる語を俗言と称するが如し。是れ、其謂はれ無きが如きを覚ゆ。年代を以て別を立てむには、中古言も上古言に比べば、俗言と謂はざるを得ざらむ。蓋し、雅俗の別は年代に因りて起るにはあらずして、貴賎、都鄙文章口語の上の所用に因りて起るなるべし。古言中にも雅俗あらむ。今言中にも雅俗あらむ。古くは雅言なるが、後に俗言となれるもあらむ。古くは俗言なるに、後に雅言となれるもあらむ。又、古雅なりとて、今世普通に用ゐられざるものは、死言といふべく、今俗なりとて、日常に用をなすものは、活言といふべし。此篇古今の衆語を網羅したれども、其雅俗、死活の別は、すべて此義に拠れり。

(六)漢土の文物、盛に入れば、漢語、遍く行はれ、仏教勢を得れば、梵語仏経語用ゐられ西洋の交通、大に開くれば、洋語随ひて来ること、自然の勢にして、又、従来、我国に無かりし事物の、其国国より来れるには、随ひて其国国名称を用ゐること、亦理の当然にして、且、便利なりとすべし。此篇中、諸外国語も、入りて日常語となれるは皆取れり。近頃入れる洋語のピストル(短銃)ガス(瓦斯)メシン(裁縫機)の如き、既に略定まりて用ゐらるるは皆収めたり。

(七)近年、洋書翻訳の事、盛に起りてより、凡百の西洋語を訳するに漢語を以てせり。是に於て、新出の漢字訳語、甚だ多し。然れども其学術専門語の高尚なるものは収めず、普通の語に至りても、学者の訳出新造の文字、甲乙区区にして、未だ一定せざるもの多し。故に是等の語も、篇中に収めたる所、甚だ多からず。応に後日一定の時を待つべし。其他、新官衙職制等の倏忽に廃置変更せるもの、亦然り。

(八)辞書の体例は、首条条に述べたるが如くなるべしと難も、編纂の上に就きて、浩瀚ならむを旨とするあり、簡約ならむを旨とするあり、浩瀚は、大辞書の集成に望むべくして、遽に及ぶべきにあらず。今、此篇は、簡約を旨として、凡そ収めし所の言語の区域、及び解釈等の詳略は、大約、米国の碩学ヱブスター氏の英語辞書中の「オクタボ」と称する節略体のものに傚へり。故に、発音、語別、語原語釈(東西同事物の釈の如きは、洋辞書の釈を訳して挿人せるもの多し)等は微具せしめたれども、出典に至りては、浄書の際、姑く除けり、簡冊の袤大とならむを恐れてなり。其全備の如きは、後の大成に譲らむとす。

(九)此篇に引用参考せる和漢洋の典籍は、無慮、八百余部、三千余巻に渉れり。其他、或は耳聞せる所を取り、或は諳記せる所を筆し、或は自ら推考せる所をも記せり。其一一出所を挙げざるは、前述の如し。各語に当てたる漢名の出所も、亦然り。

(十)各語を、字母の順にて排列し、又索引するに、西洋の「あるはべた」は、字数、僅に二十余なるが故に、其順序を諳記し易くして、某字の前なり、後なり、と忽に想起することを得。然るに、吾がいろはの字数は、五十弱の多きあるが故に、急に索引せむとするに当りて、某字は、何辺ならむか、と瞑目再三思すれども、遽に記出せざること多く、その在らむと思ふ辺を、前後数字、推当てに口に唱へて、始めて得ることとなる。(一語中の第二、第三、四、五等の音も亦然り、困苦想ふべし)、此事、慣れ易かるべくして、甚だ慣れ難きは、編者が編纂数年間の実験に因て、確に知る所なり。扨、又、五十音の順序は、字数は、いろはと同じけれども、先づ、あかさたな、はまやらわの十音を記し、此十箇の綱を挙ぐれば、其下に連るかきくけこさしすせそ等の目を提出すること、甚だ便捷にして、いろは順は、終に五十音順に若かず。因て、今は五十音の順に従へり。

(十一)此書、明治八年二月、命を奉じて起草し、十七年十二月に至て成橋せり。初め、先づ、今古雅俗普通語を、仮名の順序を以て、蒐輯分類せること四万許、次に之が解釈に移れり。然るに、各語を逐ひて、一一之に語別、語釈語原等を付せむとするに当て、書冊の記述なく、文献の徴すべからざるもの多く、而して、其語は、和、漢、梵、韓、琉球蝦夷葡萄牙、西班牙、(南蛮)和蘭、羅甸、英、仏等に渉りて、中外、古今雅俗、凡そ、宇宙三才、森羅万象の事事物物の語の出来ることなれば、其解釈の間に、書に就き、人に就き、此に索め、彼に質して、其年月を徒費せしこと、実に豫想の外にありき。且前述の如く、仮名遣語格の未定なるもの多く、因て、新に一業を起して、文法を考定することとなりて、更に、又、年所を歴、此前後、公務の他書編輯に渉れることも少からず、而して、通篇の編纂校訂、実に并に独力に出でたれば、遂に十年の歳月を費せり。抑も、編者の年歯なる、浅学寡聞なる、其誤脱なく、迅速ならむこと、固より望むべからざるのみならず、畢竟、当初、自ら辞せずして、此重命を奉じたること、多く其量を知らざるを見るのみ。然りと雖も、九層の台も、累土より起り、百仞の高きも、足下より始まる、聞くならく、欧人の書を著はす、其第一版発行のものは、著者、看者、共に、例に、其誤謬あらむを、業の免るべからざるものとし、必ず、年所を逐ひて、刪修潤色の功を積み、第二版、三版、四五版にも至りて、始めて完備せしむと云ふ、此書の如きも、亦然り、唯、後の重修を期せむのみ。

明治十七年十二月 文部省准奏任御用掛 大槻文彦

本書、草稿全部、去年十月、文部省より下賜せられたり、因て私版として刊行す、文彦又識

明治二十二年一月

(原文片仮名http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992954/5