2007-06-13
■ [言語意識史]「自分の親を呼ぶに母様をもってする」(泉鏡花)
『婦系圖』十三
「昨日(きのう)は母様(かあさん)が来て御厄介でした。」
と、今夜主税の机の際(わき)に、河野英吉(えいきち)が、まだ洋服の膝も崩さぬ前(さき)から、
「君、困ったろう、母様は僕と違って、威儀堂々という風で厳粛だから、ははは、」
と肩を揺(ゆす)って、無邪気と云えば無邪気、余り底の無さ過ぎるような笑方。文学士と肩書の名刺と共に、新(あたらし)いだけに美しい若々しい髯(ひげ)を押揉(おしも)んだ。ちと目立つばかり口が大(おおき)いのに、似合わず声の優しい男で。気焔(きえん)を吐くのが愚痴のように聞きなされる事がある。もっとも、何をするにも、福、徳とだけ襟を数えれば済む身分。貧乏は知らないと云っても可(い)いから、愚痴になるわけはないが、自分の親を、その年紀(とし)で、友達の前で、呼ぶに母様をもってするのでも大略(あらかた)解る。酒に酔わずにアルコオルに中毒(あた)るような人物で。
年紀(とし)は二十七。http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/1087.html