2007-05-04
■ [言語意識史][江戸語](慶長見聞集)
聞きしは今、杉本宗順と云京の人、江戸へ下り、云ける様は「関東は聞きしよりも見ていよいよ下国にて、よろづいやしかりき。人かたちかたくなに言葉なまりて、「なでうことなき」「よろこぼひて」などとかたことばかり言へるより、ことわり聞えがたし。」
拾遺に「東にて養はれたる人の子はしたゞみてこそ物はいひけれ」と詠せり、扨又宗順「かたつ田舎はとはるゝもうし」と前句をせられりしに、「何とかはだみたる声のこたへせん」と宗長付る、宗長は生国関東の人なればなり。
「都人といふもはつかし舌だみてうきことわりを何と答へん」とよみしも、実にことはりなり。
取分、「べい」といひ、「べら」と云こそおかしかれ。是れに付ても、わが住みなれし九重の都、さすが面白境地なり。人皇五十代桓武天皇の御宇十三年甲戌十月廿一日に、山城の国おたぎの郡に都をうつされたり。男女のそだちじんじゃうに言葉やさしく有りけりといふ。
関東衆是れを聞、おろかなる都人の云事ぞや、国に入ては俗をとひ門に入てはいみなをとふ、是れ皆定まれる禮也、しらぬ国に入、其の國の言葉を知らずんば、問はぬは僻事なり。
保科孝一「関東言葉について」「関東言葉参考資料」(『国語と日本精神』)
三田村鳶魚全集第7巻 p209 「都人問ふもはつかし舌だみてうきことわりを何と答へん」