国語史資料の連関

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2007-04-29

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小川顕道?『塵塚談?文化十一年

我等十四歳の頃は御家人二三拾俵高の妻女をかみ様と皆人称せり。まして商人は富家にてもかみ様とよび、子どもが親兄へは、とと様かか様あに様あね様といひけり。然るに二三十年以来、同心渡り用人の類の妻町人も相応にくらす者の妻は御新造様と称し、又は一日くらしの者の子共も御とと様・御かか様・御あに様・御あね様といふ事になりたり。いはんや富家の浅草札差は心至り礼儀武家とまねて娘をおじやう様、妻を御新造様と称す。大名の嫡子の室を御新造様と称する事をしらずして僭上無礼なる事悪むべし。世の中奢れるより言語までおごりて実儀は薄く軽薄になれり。諸商人の卑賎の者へも売物をうり附んとて、あがめうやまふより移り来りし事成べし。

「塵塚咄」「塵塚話」「塵塚物語」?

温知叢書燕石十種


西山松之助「共通語成立仮説」言語と文芸』82(1976)

西山松之助江戸と地方」 『文学1986.12「中央と地方」