国語史資料の連関

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2007-04-22

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三宅雪嶺『同時代史』「風俗習慣」

薩を憎む者も少からざれど、明治十年の戦争まで薩人日本に於ける優勝者にして、当世の志士なる者は鹿児島に赴き、帰りて誇り顔に土産話し、言語動作薩人に似せて得たりとせり。(鹿児島より帰りたる者も全く薩州化せず、半薩州人の如くなるを上出來とし、是より聞いて薩人を真似る者は愈〻真を遠ざかり、薩人に似ざる特殊の風習を生ずるに至る。薩に赴くも、西郷に面会せるは甚だ稀にして、桐野に面晤史して足れりとし、)薩に赴かざるは地方庁に奉職する薩人と語り、薩人は此の如しとし、其の態度に倣ひ、得意を感ずるを失なはず。薩人に似て非なるにせよ、一種の気風を造り、民間にて志士風となり、後に壮士風となり、官途にて警察官風となる。肩を聳かし、胸を張り、談話を切り言葉にし、三尺手前を視ず。勇往果敢、国家の急に赴くを以って任とするが如くなるは、諸藩の士が交際間に養成し来れる所、決して特別の地方に限らざるも、維新後の薩摩的分子の多きを加へ、警察官は好んで薩摩言葉を使ひ、また之を使はざるべからずと思はる。(新知識は江戸洋学者に出で、洋学者は田舎者の江戸弁通訳者の口調を交ぜ、一種の捲舌を共通にし、英語教師の赴くに広まり、学生の一部の薩州化するを防ぎたれど、)十年の戦役の終るまで薩摩気質が一世を風動すること薩摩綛及び兵児帯の普及せるが如しと見ゆ。(但だ洋学生の其の影響を被らざるは、後に薩州化を壮士及び警察官に限局するに与かる。【慶應義塾は福沢流と知られ、福沢は特殊の口調、特殊の服装せるが、幾分か固有の性格及び郷土の気風ありとし、江戸洋学者に共通する所少からず。本来の江戸子?ならざれど、多少江戸化もし、洋行して文明を目撃もし、田舎の野暮臭きを好まず、殊に腕捲りして攘夷たしくするの野蛮なるを厭ひ、角帽に絹布のパッチを穿き、兵兒の無粋と違ふを明かにす。】)

第二巻 pp.44-45


森銑三『明治東京逸聞史』で、要約的に

飛田良文「山の手の言葉の形成」国語と国文学昭和63-11 (飛田良文『東京語成立史の研究』p.194

括弧内は略す。

水原明人『江戸語・東京語・標準語』講談社現代新書 1994.8 (飛田氏のものと同じ)