国語史資料の連関

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2006-03-10

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昭和27年10月 朝日新聞社 180頁

わたしの伯父宮島誠一郎が、十七藩の総代として密奏を企て、陸前の寒風沢から乗船、兵庫に上陸して捕えられ、兵庫県伊藤博文の尋問を受けた。

 郷里から一歩もふみ出たことのない伯父は、伊藤兵庫県令のことばがよくわからなくて困っていると、伊藤県令は気をきかされ、「宮島誠一郎 問う年いかに。」というように、文語で問われて、ようやく答えることができた。薩摩藩士が秋田藩の人と問答するとき、謡曲の文句でうたいながら、その意思がようやく疏通したというのと同工異曲の話である。

金田一春彦氏発見)

宮島誠一郎は『幕末維新人名辞典』『大日本人名辞書』に載る。米沢藩士。『宮島日記』『養浩堂詩集』等あり。〕


金田一春彦日本語は乱れているか」