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富士谷御杖『北邊隨筆』詞の時代

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〇詞の時代

おほよ詞の時代そ歌のすがた、よゝにうつりたるを、亡父これを六運にわかてり。挿頭抄のはしがきにくはしくみえたり。【亡父が著述の書なり。】此六運に、自創の体をくはへて、七体七百首をよめるを、さきに刊行しおけり。【亡父が詠なり。】これらを見て、よゝのすがたを思ふべし。よに歌よむ人々、おの/\見識もあり、このむ所もありて、あるはかみつ世、あるは中昔ヽあるは中ごろ、あるは近昔ヽあるはをとつ世、あるは今の世とひがめる、やごとなき事にはあれども、【これ六運の名なり。】大かた歌は、体を定め置てよむ時は、必心を柱ぐる所いでくべし。おもひのすぢにしたがひて、歌となりいづるは、おのづからなるものなれば、すがたも自然なるべきなり。されば六運とさだめられたるは、大かたのすがたにて、かみつ世の人にも、中昔、中季の体なるもあり。中昔の人にも、かみつ世、近昔の体なるも、かたみにあるべし。疑ふべからず。しかれども、詞はよゝにけぢめある物なれば、詞の時代をわきまふる事肝要たるべし。もしかみつよの体なるに、中ごろの詞まじり、をとつよの体なるに、上つよの詞まじりなどしたらむは、髪白き女のあこめを着、はふ子に冠きせたらんが如くなるべし。詞の時代とは、たとはば、「もとな、「よしゑやしなどは、かみつよにかぎれり。「べらなり、「かな、などは、中昔よりおこれるが如く、此類いひつくすべからず。そが中に、六運にわたる詞もあり。そのわたりわたらぬ詞をば、よく明らめて用ふべきなり。されども、言はもと情をうつす事を主とする物なる事。おほかた詞の緊要なるを、後世はもちひざまいたくかはれり。万葉集、巻五、山上憶良ぬしが長歌に、「神代欲理、云伝介良久、虚見津、倭国者、皇神能、伊都久志吉国、言霊能、佐吉播布国等、加多利継、伊比都賀比計理、今世能、人母許等期等、目前爾、見在知在《カミヨヨリ イヒツケケラク ソラミツ ヤマトノクニハ スメカミノ イツクシキクニ コトタマノ サキハフクニト カタリツギ イヒツガヒケリ イマノヨノ ヒトモヨトゴト メノマへニ ミタリシリタリ》。下略とよまれたるをみれば、天平年間などは、よに言霊の事、そのしるしをも見、その必しかあるべき理をもしりたりとみゆれば、詞もおのづからそのかまへそなはれり。中昔よりのちは、詠物のためとなれるなれば、詞もおのづからそのかまへなるなり。されば詠物によまむ歌はさらなり。此道の本いにかなへむとすれば、おのづから詞のふるきが使よきなり。これによりて、おのれよむ歌の、おのづからかみつ世ぶりなるがおほきは、なほかみつよにひがめる名は、のがれがたけれど、その意味一端にあらねば、おぼろげにはことわりつくしがたし。たゞしるべき人こそしらめとぞ。