2005-01-02
■ [字音資料]〔玉勝間[二]〕五十連音をおらんだびとに唱へさせたる事
小篠大記御野といふ人は、石見国浜田の殿のじゅしゃにて、おのが弟子(ヲシヘノコ)也、天明八年秋のころ、肥前ノ国の長崎に物して、於蘭陀人(オランダビト)のまうで来てあるに逢て、音韻の事どもを論じ、皇国の五十音の事をかたりて、そを其人にとなへさせて聞しに、和のくだりの音をば、みな上にうを帯て、ゐはういの如く、ゑはうえのごとく、をはうおのごとくに呼て、いえおとはひとしからず、よく分れたり、こは何をもて然るぞと問ヒしかば、はじめの和にならへば也とぞいへりける、かの国のつねの音も、このけぢめありとぞ、此事おのが字音かなづかひにいへると、全くあへりとて、いみしくよろこびおこせたりき、なほそのをりの物がたりども、何くれといひおこせたりし中に、おかしき事どもあれど、こゝにはもらしつ、