2004-12-31
■ [近代語][外国人の日本語など][横浜言葉]横浜言葉(明治事物起原・人事部)
「外国人に対話するに、其語の通ぜざらんことをいとひて、当時横浜言葉と称する――ヂキ/\タイサン等の語を云ふ、――片語を以て説話する者あり、外国人の方にては、此詞を甚だ嫌ふ事なり」。(明治六年刊 西の手ぶり)
文久元酉年版の『膝車』第十編に「かんじんの間に合はねへじやア、ぺケだと云ふだらふし、べん/\と|打捨《サランパア》にもしておかれず」とあるは、横浜言葉のぺケとサランパアの初見なり。
チヤンピヨン、これは横浜言葉といふにあらざれども、明治十八年六月二日の『絵入』に力士岩竹こと、松田虎吉のことを記載し、「近来はチヤンピヨン(原註、大関)と称され居る程なれば……」と、原語のまま使用せり。
【参照】
「西の手ぶり」は、岡本純『外客交際/遠西の手ぶり』 (青山堂 明6)であろう。琳琅閣で古書が売られており(65000円)写真があったが、「外客交際」が角書、「遠西の手ぶり」の「遠西」に「にし」と傍訓がある。
なお、近代デジタルライブラリには入っていないが、国会図書館にある。(書誌ID 000000429080)
その後、入った*。
該当箇所はここ
外国人に対話《たいわ》するに、其|語《こ》の通ぜざらん事をいとひて、当時《とうじ》横浜詞《よこはまことば》と称する【ヂキ/\タイサン等の語を云ふ】片語《かたこと》を以て談話《だんわ》するものあり。外国人の方にては、此|詞《ことば》を甚|嫌《きら》ふ事なり。又|隻言半語《すこしばかり》の西洋語を識《しり》たる人は前後不辨《あとさきそろわ》ぬ詞《ことば》を以て談話《だんわ》すれども是れ亦至て忌憚《きらふ》處なり。洋語を識《しら》ざる人は則日本語の純粹《まま》にて話するを善《よし》とす。彼れの日本語を知らざるも我の洋語を辨ざると同轍ことなれば互《たがひ》に笑《わら》ふ可らずと英人余に語《かた》る事ありき。
(補)