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藤岡作太郎『国文学全史平安朝篇』「竹取物語」(抄)

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 書中の記事は確かに竹取の時代を定むる根拠たるに足らずといへども、文体を見れば、その古樸なる風容、必ず宇津保源氏に先だち、貫之散文にも先だてるを知るべし。平安中世以後の散文は、殊に女性的になりて、悠長にして繊弱、糸を以て珠《たま》を貫けるが如く、尽きんとして尽きざるに、竹取はこれに反して簡潔にして遒勁なり。而してまた奈良朝の如く接続詞を濫用することも失せ、「こゝに」「こゝを以て」「故《かれ》」、「また」などの詞を見ること稀なれば、ふと見れば、その文章奈良朝よりも却りて個々分立したる趣あり。試みに竹取の一例を挙げん。

竜の首の玉取り得ずは、帰り来なと宣へば、いづちも/\足の向きたらん方へ往なんとす。かゝるすきごとをしたまふことと誹りあへり。賜はせたる物はおの/\分けつゝとり、或は己が家に籠り居、或は己がゆかまほしきところへ往ぬ。親、君と申すとも、かくつきなきことを仰せたまふことと、ことゆかぬものゆゑ、大納言を誹りあひたり。

 されど弖爾波助動詞等の使用のやゝ自由に、しかもその意義の差別の精密になりゆきたるは争ふべからず。また言語の古くして、平安中世以来に見難きも少からず。たとえば「くど」(窓)、「けご」(家子)、「つく」、「あなゝひ」(麻柱)といふが如き、「いろふ」(彩色す)、「によふ」(うめく)というが如き、「舟のうちをなんせめて見る」、「ある国の人をえ戦はぬなり」といふが如し。要するに竹取物語はその文章より見ても、到底、延喜以来のものにあらざるべく、さりとて弘仁の詩文全盛の世、仮名の弘通もいまだしき時に、かゝるものを見るべくもあらず。貞観?より延喜まで三四十年の間に出来たりと見るを、穏当なりとすべし。

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