2003-03-28
■ [言語生活史]漢学の末路(明治事物起原 第七学術)
明治二年、集議院にて、欧米の文明国同様にする方策を得んとて、おほいに官民の建白を募れり。前島来助(後の名は密)が、漢学を廃して、仮名を一定の国字とし、国文を定むべき建白を出せるは、このときなり。また、昌平学校教授試補の肩書ある長野卓之允は、贅書を焼くべき議を出して、おほいに尖端を切れり。その略に、
「漢籍ハ、輓近舶載ノ書籍、充棟汗牛、無用ノ文字過半ニ属シ、其教化ニ害アリ、願ハクハ、章句註解ノ末説、浮華諧謔ノ文辞、其他天下ニ裨益之レ無キ書籍、尽ク灰燼ニ御附シ被v遊候ハヾ、天下人々眼目ヲ拭ヒ、経済有用ノ学ヲ磨励シ、邁世ノ俊傑出ツ可シト奉v存候」
と。これは、二年五月の議案録に出てゐるが、流石の名論も、賛成者がなくて終はれり。
また、同年九月十二日下問の議案に、
皇漢学合併被2仰出1候に付ては、博士共合議の上、略規則相定め、奉v仰2朝裁1、綱領如v左、
一、皇国学神を祭り、孔廟釈典御廃止の事
(上級・中級・初級の句読書目、および講義質問の目あり〉
同十七日、これを会議にかけしが、要するに、規則変更なきを可とするといふ多数説に決し、漢籍廃止令も出でずに済みしが、漢書漢字は、急転直下、その価値を失喪せることいふまでもなし。
明治十年三月版『一覧』の、盛衰の衰の方に、「漢籍古もの」あり。
漢学 奥田士豊
から文字は猶かき乍らから書を読む人まれになりにけるかな
同 杜田竜青
唐詩をうたひ乍らに作る人たえ/\にこそ世はなりにけれ
書生 新作都
きうり/\と言はんすけれど河童野郎のへぼ書生
蟹字横行 新詠
蟹字横行鳥跡頽、儒生(ノ)気焔比(ス)2寒灰(ニ)1 六経不用焚坑(ノ)惨(ヲ)、一切束(ヌ)2他(ノ)高閣(ニ)1来、