2003-03-27
■ [国字問題]仮名がき論の始め(明治事物起原 第七学術)
明治七年五月発行『明六雑誌』第七号に、清水卯三郎の平仮名の説あり、平仮名にて、日本文を書くべきを論じたり。「則余ガ〈舎密ノ階〉ヲ訳述シテ同志ニ謀ル所以なり」とあり。氏の舎密書に、仮名書きの著訳『ものわりのはしご』三冊外二種あり。
明治十六年七月かなの会成立す。ただ意見一致せず、会員を雪月花三部に分かちをりしが、翌十七年七月合同し、事務所を飯田町一ノ七に移せり。会員の数、十六年七月には二百人なりしが、十七年八月には二千余人に上れり。
仮名会 王鉄峰
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同 一々庵
さり状の規則を破るかなの会