国語史資料の連関

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1932-04-02

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 二 転訛語

 横浜言葉外国語の摸倣と其転訛したものであつて、其外国語から生れたものとしても、其内容は極めて複雑な関係から、和蘭語や、仏蘭西語や、若干の支那語等をも交へ、其大部分は亜米利加乃至英吉利?訛りなのであるが、本来は開国当時の締盟各国の言語の交錯なのである。

 当初に是等の外国語邦人の耳に入つて、次いで変体的な口調を以て摸擬し、発音され、更に仮名文字となつて、日本字に註釈されるので、其所に変化を起し、之を「外国商通ことばずけ」或は「異人言葉附」などと題し、折本又は冊子などに仕立てられて版行され、横浜の地元錦絵店等から、横文字早学び書として、外国語の稽古本とか、通俗な学習書とかの目的の下に発兌されたものを、唯一の玉手箱・虎の巻の大評判の上に、これに就いて熱心に学得したものなのであるから、固より不完全のものであつた。かくて明治に入り、外国人接触の一番多い人力車夫や、異人屋敷出入の者達【屋敷者。】に依つて、学習書の規定や約束もなく、自然に且つ順調に、不変則ながらの発達を来たし、殊に波止揚稼ぎの人力車夫などは、マドロス【外国船の下級水夫】を相手に最も能く其外国語を聞き分け且つ応答する新知識者であつたので、自然横浜言葉は比較的下層生活を営むリキシャマン語であり、らしやめん語であり、マドロス語であり、総括的には波止場語でもあつたのである。

 斯の如く開港期から明治期に入り、更に今日に至る迄の外国語転訛して、其原形を保つて居る言葉は可成り多数に上り、最も大胆に臆面もなく外来語を陶冶転訛し豊富に成育し来つたものであつて、実に横浜語は、文化史上の一過程に於ける研究資料としては重要の価値を保持し、誠に興味津々たるものが存するのである。

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