国語史資料の連関

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2013-06-05

柳田国男「蝸牛考」方言出現の遲速 柳田国男「蝸牛考」方言出現の遲速 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 柳田国男「蝸牛考」方言出現の遲速 - 国語史資料の連関 柳田国男「蝸牛考」方言出現の遲速 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 右に列擧した四つの事實が、幸ひに是からの立證によつて愈〻確認せられるものとすれば、次には個々の言葉の年齡といふものを、考へて見るのが順序である。今までの學者には、兎角古い語と正しい語と雅なる語と、この三つを混同しようとする癖があつたやうだが、正しいといふ語は要するに聽く人に誤解をさせぬ語であらうから、土地と時代とによつて變つて居たのみならす、前にも述べたやうな遊境現象に於ては、同時同處にさへも幾つかの正しき一語はあった筈である。さういふ中から是が一番上品だと認めて、人も我も出來るだけ多く使はうとしたのが、本當は雅語といふべきもので、從うてそれにも追々の推移はあるべきであつたが、今までの學者の間に於ては、もう少し狭い意味に、即ち京都に於て歌を詠み文章を書く人の使はうとする言葉のみを、さういふ名に呼んで尊重して居たのであつた。文學は由來保守的なもので、又屡〻異常の感動を復活させる爲に、わざと日用の語を避けて、傳統ある古語を專用しようとした傾きはあつたが、それすらもなほ我々の言語藝術として成立ち難かつたことは、かの三馬浮世風呂に出て來る鴨子鳧子の歌の、馬鹿げて居るのを見てもよくわかる。ましてや自由の選擇が許さるゝ部面に於ては、たとへば大宮の内の言葉とても、やはり方言の普通の法則に從うて、移り改まらずには居なかつた。其選擇が大體に於て、古語をふり棄てゝ新語を迎へ入るゝに在つたことは、我々から見れば當然としか思はれないが、離れた土地に居て遠くから之を眺めた人々には、たま/\各自の選擇と同じで無かつた故に、是をさへ文學古語雅語とする例と等しなみに、重んじ又手本にしようとしたのである。都府と田舍とを問はず、言葉は一様にもう昔のまゝでない。異稱の發見にせよ、音韻分化にせよ、新たなる生活の、必要があればこそ、新語は世の中に現れて出たのである。人心のおのづから之に向ふのは、必ずしも無用の物ずきと評することが出來ない。私たちの想像では、個々の物いひにもやはり磨滅消耗があり、又一種の使用期限の如きものがあつた。古語は古いといふことそれ自身が、次第に役に立たなくなつて行く原因であつたかと思はれる。

 この第五の事實を確かめる爲にも、蝸牛の如き方言量の豐富なる語に就て、特に其邊境現象に注意して見る必要があるのである。都府は見様によつては亦一個の方言境堺であつた。幾つか異なつたる方言を知る者が、來つて相隣して不斷の交通をして居る。從うて市民の方言は、實は數語併存の例であつた。勿論其中にも選擇の順位はあつて、東京の蝸牛は現在はマイマイツプロ、京都ではデンデンムシが標準語の如く見られて居るが、雙方の兒童は大抵は此二つを共に知るのみならず、其上に更にカタツムリといふ今一つの語が有ることをさへ承知して居るのである。是は近頃の小學校の本に、デンデンムシムシ・カタツムリといふ文字がある爲であつたと、考へて居る人も少なくないが、假にさうであつても、結果には變りは無い。自分は播磨國の中央部、瀬戸内海の岸から五里ほど入つた在所に、十二三の頃まで育つた者であるが、やはりいつ覺えたのか、確かにこの三つの語を三つとも知つて居た。五十年前の教科書の中にも、やはり蝸牛の一節はあつたが、是は教員がクヮギュウと讀ませて居た。カタツムリが古語であつて確かに倭名類聚鈔に出て居ようとも、そんなことは子供たちが知らう筈が無い。ましてや他の歌文にそれが用ゐられて居たかどうか。今だつてまだ捜して見なければよくはわからない。從うて是を記録の影響と見ることは困難で、つまりは他の二つは使用が頻繁で無く、選擇は主としてデンデンムシに在つたといふだけで、三つの方

言は共に我々の中に傳はつて居たのである。

 さういふ地方は尋ねたらまだ他にもあつたことゝ思ふ。そこで問題は右に掲げた三つの名詞が、如何なる順序を追うて此世には現れたかといふことである。其中でもカタツムリだけは、既に記録の徴證もあることだから、それが一番の兄であることは、もう疑ひが無いといふ人もあらうが、是とても京都だけの話である。他の二つが更にそれよりも前から、離れた地方に於て知られて居なかつたといふことは、今日は人が只さう思って居るといふだけである。自分も勿論この三つの語が、相生であつたらうとは考へて居ない。しかしこの國を一體として、方言發生の先後を決する爲には、斯んな一部の文書史料などは、實は何の根據にもならぬのである。日本では近頃無暗に單語外國語のそれと比定して、是によつて上代文化の觸接を説き、あはよくば種族の親近までを、推斷しようといふ道樂が流行して居るが、それにはまづ京都以外、二三の語集以前の日本語が、やはり其通りであつたことを、立證してかゝらねばならなかつたのである。從來行はれて居た普通の方法では、古い世の事は知れない方が本當である。是を確かめるには又別の手段を講じなければならなかつた。さうして私は其手段はあると信じて居るのである。

 一應の觀測は、現在主として用ゐられて居るものが、稀にしか用ゐられず、もしくは既に全く忘れられて居るものよりは、新らしいと考へさせることは前にも述べた。しかしそれは唯一地限りの現象であつて、現にデンデンムシとマイマイ又はマイマイツプロの如きも、關西に於ては前者が主として行はれ、東國はすべて後の者を用語にして居る上に、他には又其何れでも無いものゝみを、知り且つ用ゐて居る地方がある。だから最初に先づ分布の實状を灣察して見る必要があるわけである。私たちは必ずしも人が新語に赴くといふ傾向を高調せずとも、單に客観的なる地方事實の比較のみに由つて、個々の方言のいつ頃から、又は少なくとも一は他の一よりも後れて、此世に現れて出たことを見極め得るものと思つて居る。さういふ實驗を段々に積み重ねて行くことが、曾ては自然史の成立であつたと同じく、將來は又國語の歴史を明かにする道であらうと思って居る。此判別の目安に供すべき尺度は、他にもまだ幾つかあるだらうが、さし當り自分の標準としたものは二つある。其一つは方言領域の集結と分散、他の一つは方言生成の理由が、今尚現存し又は比較的に明瞭であるか否かである。この第二の目安は、もつと科學的な言ひ方をすれば、或は方言自體の構造素質などゝ言ひ得るかも知れないが、さういふ表現の巧拙よりも、私は寧ろ事實を詳かにして置く方に力を費さうとした。さうして之に據つて、ほゞデンデンムシのマイマイよりも後に生れたことを確かめ、且つカタツムリが更に其二つよりも前であつて、しかもまだその更に以前に、他の幾つかの「上代新語」を、兄として戴いて居たらしきことを知つたのである。