国語史資料の連関

国語史グループにあったブログ

2011-12-20

[]臨模するばかりにては益すくなし(授業編) 臨模するばかりにては益すくなし(授業編) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 臨模するばかりにては益すくなし(授業編) - 国語史資料の連関 臨模するばかりにては益すくなし(授業編) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 いまだ年少の人、墨本ばかりを臨摸するも、心の勵みなく退屈ならば、當今の書家の中へ手本を請ひ、清書をなほしもらふ事、和樣を習ふ如くするもよし。かくしてのち、前に云へる如く、華人の其跡か、またはよき石摺りを學び、其の運筆の法を考へ、下地の習氣を除き去るやうにすべし。詩文など書きたるが、當今名高き書家の手跡にあまりよく似て、これは某の門人など打ち見に知らるるも、其の人がらによりては、世にいふ若輩に見えて惡し。

 また華人の眞跡にもせよ、墨本にもせよ、これを臨摸するに、ただ机案の邊におぎて、時々臨模するばかりにては益すくなし。雨芳洲の日く、「およそ手習ひは、おなし手本を一息に習ふこと、千遍すべし。千遍習ふ時は、字形・筆法二つながら要領を得べし」と。余が知るところ、相國寺の羽山禪師、梅畫の精妙なるのみならず、もとより書才もある人なるが、近ごろ畫を左にし、書を右にし、董玄宰のよき法帖を得て、頻りに手習ひをせるが、頓に住境にゐたれり。此の禪師、少時對馬にありて、掌を雨芳洲に受く。其の手習ひの仕方、右にいふ芳洲の教へに從ふといふ。世に、書論高妙にて、珍しき法帖とさへいへば財を惜しまずおぎのり求め、多く貯えて、手習ひの沙汰には及ばざる人あり。これらは、古人の所謂「賢を得て、用ゆることあたわず」といふにや擬すべき。また世に高尚の論を好む人ありて云ふには、「書を學ばんとならば、幼童の時より、我が邦の人の手跡を習ふべからず。わづかに此の邦の人の筆意を習ふ時は、一生其の習氣を脱することあたわずして、華人の書に髣彿すべからず」と。余おもふに、其の理は或いは然らん。しかれども、前にも云へる如く、さ樣に心得て、さしつかへなき人は鬼も角もすべし。なべての人は、虚名を求めて實用に妨げの有るや無きや、其の所考へてよし。書の六藝に列するも、人事に益あるを以てなり。もし實用に妨げあらば、余、いまだ其の佳なるを知らず。徃時、桑原維敬などは、和樣も型の如く見事なりし。近時、書論は精しけれども、維敬ほどの書は多く見及ばず。

原文カタカナ